2018/10/7 使徒の働き17:1~15 テサロニケ宣教


・テサロニケへ
 パウロはピリピから、エグナティア街道にそって、160キロ程西のテサロニケに向かいます。この町は、マケドニヤの州都で、56万の人口を擁し、当時としては大きな町でした。この町にはユダヤ人会堂があり、そこでユダヤ人と異邦人求道者に福音を語るために向かったのです。

・聖書に基づいて論じ
 パウロの語り方について「聖書に基づいて論じた」とあります。ユダヤ人や異邦人求道者は旧約聖書を知っており、そこを福音宣教の基点としています。「論じた」とありますが、それは相手の質問や意見に対して、丁寧に対応して、イエスの福音を旧約聖書全体の理屈に合う首尾一貫した教えとして示したということです。
 「説明し、また論証した」とあります。イエスの御業とご人格を聖書全巻から、分かりやすく語り、明々白々たる真理であることを丁寧に示したということです。

・「よくわかって」
 パウロの語ることに、しっかりと耳を傾けた人々は「よくわかって」、イエスこそキリストと受け入れます。このことは、この後の宣教地ベレヤでも同じでした。「非常に熱心にみ言葉を聞き…聖書を調べた」とあります。その結果「多くの者が信仰にはいった」のです。
 福音宣教を通して、神の民と敵対者が分離されるのですが、それは聞く姿勢によってであることが分かります。

2018/9/30 召天者記念礼拝 「復活の証人」 マルコ12:18~27


・生ける神
 主イエスはサドカイ人たちとの復活論争において、出エジプト記3章をとおして、神がどのようなお方であるか示しています。
 そこではモーセが羊飼い時代にシナイ山に赴いたときに不思議な光景を目撃したことが記されています。「火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった 」とあります。つまり神は常に生きておられる方であることです。

・生きている者の神
 しかしまた、ここでは神のもう一つのご性格が啓示されています。「神がその燃える柴の中から語りかけて『わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』 」とあります。このことばは、神が民との関係をもけっして絶えさせることがない方であることを示されまています。主イエスはこの言葉を引用して、死者の復活の証明としています。つまり「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」とあるとおりです。神は信仰によって御民とした者をいつまでも覚えておられて、必ず復活に至らせるということです。

・復活の証人
 私たちの教会の召天者たちも、見える形ではその姿を見ることができませんが、神に覚えられ、神と共に生きている人々です。真実な神は、主イエスによって、その約束の通り新しい肉体の復活に至らせてくださるのです。そこで召天者たちは、私たちにとって、復活の証人として、声なき声で証し続けています。

2018/9/23 使徒の働き16:19~34 ピリピ…看守の改心


・投獄
 ピリピの町で、パウロとシラスは偽りの告発によって、鞭打たれ、投獄されました。その苦難も、彼らにとってはキリストの苦しみを共にする霊的体験となっていました。そこで、本来なら、精神的にどん底に陥っている時、彼らの心はけっして揺るぐことはありませんでした。「真夜中ごろ…神に祈りつつ賛美の歌を歌って」と記されているとおりです。

・大地震
 「ところが突然、大地震が起こって」とあります。マケドニヤ地方は古来より地震地帯でしたから、それは自然現象であったのでしょう。しかし同時に獄舎の「とびらが全部あいて、みなの鎖がとけてしまった」とあるのは、明らかに奇跡であり、救済です。
 この時、看守が見ると牢のとびらがあいていました。そこで彼は囚人が逃亡したとしたと思いこみ、責任を取って自害しようとしました。大地震は、彼にとって安泰が絶望となり、生死の大変動となってしまったのです。地上の人間存在の危うさが見事に描写されています。

・看守の改心
 パウロは看守に叫んで、自害をとめます。そして絶望のうちから救済を求める看守に対して次のように語ります。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」この言葉は、今も昔も、砂上の楼閣に生きる人間にとって、真実の約束です。

2018/9/17 敬老の招待礼拝 ヨエル2:28~29 老人は夢を見る


・「老人は夢を見る」
 ヨエル書は紀元前8世紀の預言書と言われますが、そこに「老人は夢を見る」という預言があります。その時代は国が弱体化した時代で、老人は、未来について決して良い夢は見ることができませんでした。しかしヨエルは将来、神の霊と共に幸いな時代が到来し、老人も良い夢をみることができると預言したのです。

・神の霊が与える「老人の夢」
 それでは神の霊による「老人の夢」とは、どのような夢でしょうか。第1にそれは、将来についても良い夢を見るということです。父祖アブラハムが85才の時に「空の星」の幻を与えられて、将来の反映が示されたようにです。
 第2には神が共にいてくださり、平安を与える夢です。父祖ヤコブが旅の途上、夢を見たときに、「見よ。わたしはあなたとともにあり、…決してあなたを捨てない」(28:15)と神は約束を与えたようにです。

・神が共に
 ある映画監督が自分の夢を映画にしました。そこで描かれているのは、神のなしの夢の世界です。狐の霊、木の霊、雪女、鬼などが出て来ます。最後は、幸いな世界が描かれていますが、どこか寂しい夢です。
 私たちは、そのような死霊の世界から解放され、今や、キリストによって生ける神の霊を受けています。そして、その霊に導かれた生命と平安の世界が常に、提供されています。

2018/9/9 使徒の働き16:1~15 マケドニヤの叫び


・第二次伝道旅行
 パウロはバルナバとはたもとを分かち、シラスと共に、先に開拓したガラテヤの諸教会を巡察するため、また会議決定事項を伝えるために、出かけます。途中、ルステラで若者テモテも同行します。さらにはルカ自身も同行することになったようです。新しい伝道旅行の仲間たちです。自然、宣教の新しい導きを求めました。

・マケドニヤの叫び
 彼らはガラテヤ州諸都市からさらに先の地方に宣教を試みています。しかし「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられ」、さらにビテニヤ地方に行こうとしたときに「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」とあります。
 しかしトロアスにいた時、パウロは「ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願する 夢を見ました。パウロはそれは神の導きと信じて、早速、マケドニヤに船で渡ることにしました。福音が始めてヨーロッパ大陸に伝わった瞬間です。

・ピリピで
 彼らがはじめに宣教始めたのはピリピでした。そこはローマ植民都市で特権を持つ町でした。ユダヤ人は少なく、ただ城外に祈り場があるだけでした。そこでパウロは福音を語り始めたのですが、主の霊はルデヤという異邦人女性の心を開いて福音を聞いて、信じるように導かれました。主の御霊が使徒たちを導き、同じ主の御霊が魂を捕らえてくださったのです。

2018/9/2 使徒の働き15:22~35 信仰の自由と愛


・決定事項
 律法問題を取り扱ったエルサレム会議の決定は、パウロとバルナバだけではなく、エルサレム教会の二人の指導者も派遣されて、アンテオケをはじめとした異邦人教会に伝えられました。すなわち「どんな重荷も負わせないことを決めました。29すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

・信仰の自由
 決議内容の1つは、信仰の自由の確認です。キリストを信じた者は信仰だけによって義とされており、律法の一切の義務からは自由になったと言うことです。彼らは何ら重荷を負う必要も、律法の業について悩む必要もないのです。後に、宗教改革者ルッターは「キリスト者はすべての上に立つ王である」とまで言い切りました。

・隣人に対する愛
 決議事項には3つのことが禁止されています。1つは「偶像に供えた物」、もう一つは「絞め殺した物と血とを避ける」ことです。それは自分自身が偶像礼拝に関わる危険があることと同時に、何よりもユダヤ人キリスト者に対する愛の配慮のためでした。また神の民として汚れを負うことになる「不品行」はいつの時代でも避けるべきこととされました。
 

2018/8/26 使徒の働き15:1~21 エルサレム会議


・律法問題
 ユダヤ地方からアンテオケ教会に下ってきたある律法主義の教師たちは「モーセの律法に従って割礼を受けなければ…救われない」と主張しました。パウロたちはただ信仰だけで救われると教えていたので、両者は激しく対立することになりました。そこでパウロたちはエルサレム教会に行って使徒と長老たちとこの問題について、協議することにしました。

・エルサレム会議
 エルサレムにおいても、律法主義の教師たちは激しい主張をしていました。そこでこの問題について、主だった者たちで会議を開くことになりました。いわゆるエルサレム会議です(AD48)。会議も激しい論争となりましたが、最後にペテロが立って異邦人が信仰だけで聖霊を受けたことを証言します。それは神が異邦人を信仰だけで義として受け入れた証拠であり啓示であると語ったのです。その後、ヤコブが預言書を引用してペテロの意見を支持しました。それが結論となり、信仰義認の教理が確定しました。

・内なるエルサレム会議
 私たちの教会では、聖書が語るとおり信仰義認の教理を受け入れ、それを告白しています。しかしこの教理は、一人一人の信仰生活の中で、深められ確立されなければなりません。生まれながらの人間は、律法主義の体質を持っています。つまり、自分の業や能力により自己評価をしたり、周囲の評価を求めるのです。しかし、信仰だけで義とされ、愛の中にあることを確信すべきです。

2018/8/19 使徒の働き14:19~28 苦難と救い


・迫害と石打
 パウロはルステラでの宣教を進展させていましたが、ユダヤ人と異邦人の保守派が彼らを迫害します。「パウロを石打にし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した」とあります。「わたしの名のために、どんなに苦しまなければならないか」が改心時の啓示でしたが、ちょうどその体験をしたのです。しかし苦難の中に神の恵みが満ち溢れます。「 弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った」 とある通りです。

・苦難と救い
 パウロたちは、さらに町々で福音宣教をなし「多くの人を弟子と」しました。福音を信じた人々が、より福音に学び、キリストに従うように導いたのです。そして弟子としての覚悟を次のように語ります。「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない 」。地上において、多くの苦しみを体験することは、神の計画であること。弟子たちはその苦しみの中で、信仰を強くされていくということです。

・苦難と救い
 ローマ5章にも次のようにあります。「3患難が忍耐を生み出し、4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」。このことは、現代の弟子たちについてもまったく同じです。特に日本という異教的土壌では、宣教の困難、信仰の試みがあります。さらに様々な病気や困難による苦難もあります。その時に私たちは弱るのですが、信仰を保つとき、いっさいが救いにつながるのです。

2018/8/12 Ⅱサムエル21:10~14,24:25 平和の祈り

この国の祈り
 Ⅱサムエル記の2つの箇所は、国の災難に際して、王とともに民が心を痛めつつ祈ったことがしるされています。その結果「神はこの国の祈りに心を動かされた」とあり、神は憐れみの心を前面に出して、災難から救ったのでした。
 私たちキリスト者は、この国では少数ですが、この旧約聖書の物語にならい、この国のために祈る手を下ろしてはならないと思うのです。

・平和の祈り…沖縄戦
 今から20年近く前に日本伝道会議が沖縄で開催されました。そこで講演や様々なシンポジウムがもたれました。その中で、金城牧師の沖縄戦の証しに心が打たれ、平和の祈りに導かれました。金城牧師は、当時16才でしたが、渡嘉敷島集団自決の現場にいました。日本軍玉砕の報を受け、教育されたとおりに村人の自決が起こりました。彼は母と弟妹を殺害しました。彼は色々な事情から生き残り、終戦後、島を出て改心しました。それで帰国して戦争の悲惨さと罪を告白するようになりました。
 
・浦上天主堂被爆
 また原爆投下の悲惨を知ることも祈りの促しとなります。特に長崎原爆投下時、ほぼ爆心地にあたる浦上天守堂ではちょうど集会が行われており、6000人が即死、2500人が放射能疾患で死んだそうです。人々の心には「どうして教会に…」という深い疑問が起こったのですが、悩む以前に、生き残った信徒は、会堂を再建し、この国の平和のために、切に祈っているということでした。


2018/8/5 使徒の働き14:1~18 むなしいことを捨てて


・信仰と癒やし
 ルステラでパウロが福音を語ったときに「足のきかない人」がいて、信仰心を持ちました。そのことを察知してパウロは「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と命じると彼は飛び上がって、歩き出しました。全くの異邦人でも信仰によって癒され、救われることが証しされたのです。

・むなしいことを捨てて
 しかしルステラの人々は、まったく的外れの応答をしました。彼らが神々の化身と早合点して、彼らに対して生け贄を献げようとしたのです。異邦人の彼らは、昔から偶像崇拝に染まっていたからです。
 そこでパウロとバルナバは、自分たちは、人間に過ぎないことを必死に訴えました。さらにそのようなむなしいことを捨てるようにと語ります。「むなしいこと」とは、空虚なこと、意味がないこと、益にならないことです。

・生けるの神に立ち返る
 さらに「生ける神に立ち返るように」と訴えます。「生ける神」とは目に見えないが実際に生きて存在する神ということです。その神こそが、地上の生活においてだけではなく、永遠に「あなた方の心を満たす」ことのできる方だからです。

 パウロのことば、そのまま現代日本にも、当てはまることばです。