2016/6/26 創世記15:1~6 あなたの盾



・アブラムよ
 アブラムは神の召命と祝福を信じてカナンに行きました。しかし、祝福が成就するどころか、ますます実現不可能に思える出来事が起こってきます。
 神は危機的「出来事の後」に、アブラム自身に語りかけ、守りと祝福の約束を与えます。神は、すべての御民の名を覚えて名指しで、世の危機を凌駕する平安と力に招く絶対者であり、愛のお方です。

・あなたの盾
 「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾。」とあります。世に誕生して以来、人の心には恐れがあります。それが危機に直面したときに大きな恐れの渦となります。その渦を静めることができるものは、ただ神の言葉だけです。神が「恐れるな…あなたの盾」と語られると同時に恐れは消え去り、神が「あなたの盾」となります。
 さらに神は「あなたの報いは非常に大きい」と語り、彼自身の子が祝福と財産を受け継ぐという約束を与えられました。神は真実な方であり、ご自分の約束と御民の望みを覚えて、その実現のために誠実を尽くされる方です。

・信仰
 神はアブラムに、満天の星を示し、「あなたの子孫はこのようになる」と約束します。それに対してアブラムは「主を信じ」、「主はそれを彼の義と認められた」とあります。 
 私たちもアブラハムの子孫ですから、アブラハムと同じ祝福の言葉が与えられています。私たちもすなおに「主を信じる」者となりましょう。

2017/6/19 ルカ福音書15:11~24 父と子の出会い



・放蕩息子のたとえ
 ルカ15章に放蕩息子のたとえがあ記されています。次男が父から財産をもらって遠くに出かけますが、放蕩三昧の末、没落します。それで父の元に立ち返るのですが、父は愛を持って歓待するという話です。
 このたとえ話で、父は二つの側面を持っていたことに気がつきます。一つは厳格な父、もう一つは愛の父です。どうしても父には子どもをしつける厳しさが伴います。しかし子どもと心から出会うのは、内にある愛が前面に出たときなのです。

・父とわたし
 私の父は戦前派ですから、厳しさがありました。特に、私が思春期のときにはそう感じました。そして、厳しさは父と子の関係を疎遠にします。父と私の関係も、思春期以来、どこか距離を感じるものとなっていました。
 しかし、父が末期癌となったときから、異なった関係ができました。父が優しさを前面に出すようになり、若い時にキリスト教に関心があったこと、またキリストを「信じているよ」とまで告白してくれました。それらは私の心の癒やしとなりました。

・愛の父への召命
 私の体験は、また多くの人々の体験です。父と子が愛の出会いをすることによって、互いが癒されるのです。ナウエンという神父は、放蕩息子の帰還という本を書いていますが、そこで次のように書いています。「人は放蕩息子のような体験をするが、その後に愛の父となる召命を受けている」と。

2016/06/12 詩篇121 山と信仰



・詩篇121
 詩篇121篇には、巡礼のためにエルサレムに向かう信仰者が不安な面持ちで「山に向かって目を上げる」様子が描かれています。山は困難の象徴であると同時に、神の臨在と守りの象徴のように見えます。信仰者は2つの思いに迷いながら「山を見る」のです。その迷いを断ち切るのは、神信仰でした。「私の助けは、天地を造られた主から来る」と告白されている通りです。

・アルプと教会
 私たちは4日目にスイスに入ることになりました。ドイツとは異なり、起伏が多くなり、やがてアルプスの山々が見え始めました。まずモンブラン、やがてアイガー、メンヒ、ユングフラウと険しく雄大な姿が現れます。アルプスとはアルプ(山の牧草地)の複数形です。険しい山の山腹に牧草地と森林が広がり、裾野には村々が点在します。その中心には尖塔をもつ教会がありました。調和のとれた美しい風景です。

・山と信仰
 西欧の開拓は、西ローマ帝国崩壊後、しばらくしてから修道院を中心になされていきます。修道院は地域の農民を取り込んで共同体を形成して開墾を進めます。それはスイス山岳部でも同じであったと思われます。
 しかし山岳部は開発は困難を極めました。彼らにとって山々は困難の象徴でしたが、同時に神臨在の象徴でした。彼らは信仰と忍耐によって、目前の困難も天地創造の神によって克服されると固く信じたのです。

2016/6/5 ヘブル10:32~39 たたかいの教会



・たたかいの教会
 パウロは信仰生活を「激しい戦い」と表現しています。剣や銃による戦いではなく霊的な戦いということです。世の支配者は悪魔ですから、当然、信仰者は生涯において信仰の戦場におかれるのです。
 「恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ 」とあります。戦いにおいて弱腰は、そのまま敗北であり滅びです。信仰者の戦いも、前向きな信仰を保つことが大切です。それによって悪魔に打ち勝つことができるのです。

・殉教の戦い
 ドイツスイスを巡って、意外に思ったことがあります。それは北アフリカのムーア人マウリティウスが皇帝や町の守護聖人とさていたことです。彼はAD3世紀頃、ローマ軍の将軍としてヨーロッパに来たのですが、偶像崇拝を拒んだために殉教しました。その殉教者の精神が尊敬されたということです。彼の国の人々は、信仰のために生命をかけることを尊んだのです。

・宗教改革者たちの戦い
 「たたかい」といえば、宗教改革者たちがそうでした。彼らは絶対的少数であったにもかかわらず、聖書の真理のために生命をかけて戦い、新しい信仰の世界を造り上げました。私も宗教改革者たちの銅像や遺品を間近で見たり、その傍で記念写真を撮ったときに、心もち緊張しましが、彼らの残した信仰の遺産は、偉大であることを実感したのです。

2016/5/29 Ⅰコリント15:58 虚無と真実



1コリント15:58から
 「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」 1コリント15:58
 コリントはギリシャの町で、この世の実生活を軽んじる傾向がありました。そのために、虚無的な生活スタイルが蔓延し、道徳的にも退廃していました。しかしパウロはキリスト者はこの世の実生活も大切にするようにと勧めています。それはキリスト教信仰は、具体的な生活の中で育まれ、永遠に至る生命が養われ、実る場であるからです。

・古さを大切にする文化
 私は一週間のドイツスイスツアーで目にとまったのは、彼の国民が古い町、古い文化を大切にしていることです。そして、その古き町を愛し、今の自分たちの生活も着実に積み上げているということです。そこには何よりも心の安らぎがあります。ドイツ語で「古い」はアルテといいますが、その言葉には慕わしさ、懐かしさという意味も含まれていることです。

・虚無と真実
 ドイツの童話作家ミヒャエルエンデは「モモ」「ネバーエンディングストーリー」を書いていますが、そこでとり上げている問題は、現代の効率主義と虚無でした。効率、発展というお題目の中で、古いものを否定していくときに、そこに残るものは虚無だけということです。
 私たちは虚無の悪魔にも打ち勝つキリストという真実が与えられたのですから、堅実な信仰と教会生活を通して、真実な世界をこの町にも打ち立てたいと願わされました。