2014・1・26 イザヤ57:15~21 神の聖域



・神の聖域
 神は「いと高く…その名を聖ととなえられる方」です。何者よりも崇高で、一切の汚れから隔絶されていることを意味します。
 この神の聖域には人間は近づくことはできません。もし汚れたままで近づこうとするならば、たちどころに滅ぼされます。

・地上におかれた仮の聖域
 しかし、神はその聖域のひな形を幕屋という形で地上に設けたことがありました。それによって「聖」とはどういうことかを知らせたのです。つまり、高ぶる者と汚れたまま近づく者はたちどころに滅ぼされましたが、神が示す手順で近づく者たちは贖いを受け、新しく生かされたのです。
・心砕かれた人の中の聖域
 しかしながら、預言者イザヤは、もう1つの真の聖域について預言します。それは「心砕かれて,へりくだった人 」です。それは、神の前に自分の罪深さを覚えて心砕かれ、自らの虚しさと小ささを覚えている人のことです。神はそのような人々の心に、臨在し、聖域とするのです。そして、その人の罪を聖め、新しく生かします。

・キリスト信仰と聖域
  また私たちが心砕かれ、へりくる最善の手段は、イエス・キリストを心から信じることです。彼自身が「わたしが道であり、真理であり、生命なのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」ヨハネ14:6 と宣言して、招いているとおりです。

2014・1・19 イザヤ55:6~13 主に帰れ



・主を求めよ
 イエス・キリストの贖いによって、今のときは、神が私たちの元にに福音を通して近づいています。私たちは福音が語られているときに、「主を求める」べきです。また、神と出会うためには、顔と顔を合わせるように、私たちの方でも神に、しっかりと顔を向けなければなりません。

・主に帰れ
 私たちが「主に会う」ためには悔い改めという手段によります。それは「おのれの道を捨て」「おのれのはかりごとを捨て去り」「主に帰る」という3段階が示されています。
 私たちはアダムの堕落以来、歩む道と考えは悪に傾き、自己中心に向かいます。それらを捨てて全人格的に福音を通して語りかける神に帰るのです。

・神の赦し
 「そうすれば、主はあわれんでくださる・・・豊かに赦してくださる」とあります。心痛めるほどのあわれみの心で、私たちをあわれむのです。単に赦すだけではなく、多くの祝福を与えるということです。さながら放蕩息子を迎えた父のようです。

・天が地よりも高いように
 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」  
 私たちは、戸外に出て冬の空、早春の青空を見上げた時に、改めてその聖さ高さ豊かさに圧倒されます。ちょうどそのように、自分の道と考えに固執せず、福音において啓示されている神の世界に帰るべきです。

2014/1/12 イザヤ54:1~8 母なる教会



・不妊の女よ、喜び歌え
 「不妊の女」とは神の民のことです。彼らは旧約時代を通して、神のために何も生み出せなかったのです。しかしながら新しい時代が到来し「喜び歌え」「喜び・・・叫べ」「喜びの歌声を」と命令されています。

・母なる教会
 その理由は53章で啓示されているキリストの贖いの所以です。その結果、状況が180度転換し、異邦人も神の民として加えられることになります。また神は「永遠に変わらない愛をもって」あわれんでくださるからです。そこは新たに形成される神の民、すなわち万民の母なる教会です。

・教会の拡大
 「あなたの天幕の場所を広げ、・・・綱を長くし、鉄の杭を強固にせよ
 教会は祝福を受けているので、自ら許容力を大きく拡大するように命じられています。それはまず信仰と心の許容と考え方の拡大からなさなければなりません。

・私たちの教会
 私たちは21世紀の日本で、キリストの教会を形成しています。ここでもイザヤ書の預言は生きて働いています。
 つまり主イエス・キリストの十字架の贖いを通して、神の祝福と愛が満ちています。神に対する喜びの歌声が満ちています。そして神が「子どもたち」を呼び集めるので、私たちも心を開いて招き入れるのです。

2013/12/15 ルカ1:67~79 ザカリヤの賛歌



・ザカリヤの賛美
 クリスマスを彩るものは信仰者たちの賛美です。ザカリヤはユダヤの祭司でしたが、キリスト誕生による新しい時代の到来を啓示されました。そして、そこに現された神の顧みとあわれみを覚えて心から神を賛美しています。

・救いの角
 「救いの角」とはキリストのことを意味します。祭壇の四隅にも角があり、贖いの動物の血が塗られました。それは民を救済する救い主の予表です。彼によって、神の民はあらゆる敵から守られることになります。特に罪と死という最後の敵をも、キリストは粉砕したのです。

・礼拝と平和
 またザカリヤは祭司でしたから、旧約の預言に通じていました。千数百年間に及ぶすべての預言がキリスト誕生によって成就することになります。そこに神のあわれみと誠実さを覚えています。またそれは神の民が神によって全面的に受けられる礼拝の実現となったことを覚えています。礼拝が許されるものたちは、神に愛されている者たちだからです。

・神の深いあわれみ
 最後に「神の深いあわれみによる」とあります。それは神が心を激しく揺り動かすほどのあわれみと言うことです。私たちには何の良さもありませんが、神が私たちの悲惨さをご覧になって深くあわれんでくださったので、救いが実現し、私たちは「暗黒と死の陰」から日が燦燦と照らす「平和の道に導」かれているのです。

2014/1/5 エペソ2:10,4/16 神の作品として

・神の作品として
  私たちはかつては怒りの器でしたが、イエス・キリストゆえにあわれまれて神の作品とされています。特に優れた人だけがそうではなく、キリストを信じる者は すべて、神の作品とされています。私たちは自分は小さい者、つまらない者と思っていますが、神の目には高価で尊い作品です。

・良い行いをするため
 神の作品であるということは、ただ飾られているだけではなく、神のために働き、機能するものであるということです。
 ちょうどキリストが父の神のために地上で働かれたように、私たちもキリストに似たものとして奉仕し、働くと言うことです。

・良い行いを備えられて
 「その良い行ないをもあらかじめ備えてくださった」とあります。その行いと働きは、教会の中に、また自分の毎日の仕事の中にあります。これには失業することはなく、いつでもどこでも神が私たちがキリストに似たものとして生活するために神によってあらかじめ備えられています。

・キリストを現す
 エペ4:16に「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分…」とありますが、私たちはそれぞれが神の作品であると同時に、互いがコラボレーションして1つのキリストの体である教会を構成します。そこでキリストのその愛の業が現され、さらにはキリストご自身が顕わにされるのです。