2010/10/24 ローマ3:9~20  義人はいない

・罪を直視すること
 病気でも何でも原因を直視することなく、放置していると死に到ります。しかし、いち早く原因を直視するときに問題の解決につながります。
 それと同じように、私たちは自分の罪を直視し、それが如何に深刻な物であるかを理解するときに、はじめて私たちは神の救いをしっかりと受け取ることができます。

・義人はいない
 私たちが自分の罪を直視する手段は、第1に神の言葉に照らすことです。詩篇に「義人はいない。一人もいない。」とあります。神は霊なる方で心の奥底まで調べる方です。この神の前に正しい人は誰もいないと言うことです。
 これらのことは、御言葉の光の中で自分自身の実態を顧みるとき、より明瞭になります。

・全的堕落
 「全的堕落」とは、完全に徹底して罪に堕落しきっていると言うことです。私たちの心の中も、語る言葉も、業をなす手足も、一切合切が堕落しきっていると言うことです。
 また自分の力でも、堕落状態から抜け出る力が全くなく、むしろ神に対して刃向かう者であるということです。

・神の裁きに服する
 これらの霊的現実を認めることは、私たちにとって辛いことですが、しかし自分が全くの罪人で惨めな人間であると認めるときに、私たちの心の目に、救い主キリストの十字架が明瞭に示されることになるのです。

2010/10/10 ローマ3:1~8 神は真実、義

・様々な人間的詭弁
 ユダヤ人の問題から初め、パウロは色々な人間的詭弁(きべん)について取り扱っています。詭弁とはまさしく危険な理屈であり、神と神の救いの世界をねじ曲げ、私たち自身を暗黒の世界に落としかねないのです。
 私たちの信仰が落ち込んでいるときに、私たちは何らかの詭弁の虜になっている場合が多いのです。

・神観の基本・・・神は真実
 ある者たちは、ユダヤ人のうちに不信仰があるから、彼らに御言葉を委ねた神も不真実であると断じます。人間の思いは、色々な詭弁を生み出します。
 それに対してパウロは、くどくどと説明することなく「神は真実な方であるとすべきです」と断言します。これは物事の考え方の大前提で、一切の考えはここから始めるべきなのです。

・神観の基本・・・神は義(善)
 「怒りを下す神は不正ではないか」という人間的詭弁も取り上げています。神についての心の内から出てくる人間的論理はいつも、神に対する反逆が含まれています。
 「絶対にそんなことはありません」と答えます。「神が義である」ということも、神学の大前提です。この前提で物事を考えるときに、整理され、私たちも幸いに入れられるのです。それは座標軸と同じでX軸とY軸を真っ直ぐに据えることで正しい図が描かれるのです。神についての基本が正しく心に設定されることで幸いなる人生観を描くことができると言うことです。

・詭弁は悪と滅びに到る
 神についての曲がった考えは、やがて自分の悪を正当化するに到ります。このような者は「当然罪に定められるのです」。
 私たちは、自分の口を閉じ、ただ絶対的神の真実、義、善を心から受け入れるべきです。その恐れと服従により、私たちも神の義と善に入れられるのです。

2010/10/3 ローマ2:17~29 心の割礼

・ユダヤ人の律法と割礼
 ユダヤ人は旧約の民です。彼らは律法を持ち割礼という肉の印をもつことを誇りとしていました。しかし、旧約は業の契約であり、民が律法を完全に守ることで有効となる契約です。もし、律法を破っているなら、契約が反古となり割礼も何の意味もなくなるのです。
 そしてユダヤ人の実態は、律法の言葉から遠く離れ、律法に違反しており、彼らが誇る肉の印も意味を持っていませんでした。

・旧約は新約のひな形(模型)
 本来、旧約はひな形(模型)であり、限界がある救いの契約です。ユダヤ人は旧約の中で限界を知り、よりすぐれた救いを求めるべきでした。事実、神は先に目に見える模型を示し、次に目に見えない本体を与えようとされていたのです。エレミヤ31:31~33に「新しい契約」とあるのがそれです。ところが、ユダヤ人は目に見える律法と割礼に執着していたのです。その結果、主イエスを十字架に付け、キリスト者を迫害していました。

・心の割礼
 新しい契約の印は「御霊による、心の割礼」です。それは目に見える印ではなく、心に刻まれる目に見えない印です。ここに模型と本体、旧約と新約の性格の違いが明瞭になります。
 私たちがキリストを信じたとき、新しい契約を結んだことになり、その結果、聖霊によって心の割礼を受けます。それは目に見るどのような印や誇りよりすぐれたもので、神の子としての印、祝福の基となります。
 私たちは見えることにとらわれる存在で、礼典、礼拝式、奉仕などを神の民の印としがちです。しかし本体は目に見えない心の印であることを忘れてはならないのです。