2016/11/13 子ども祝福式・礼拝 Ⅰサムエル16:1~7 「主は心を見る」



・預言者サムエルと油注ぎ
 起源前1000年頃の物語です。主なる神は、預言者サムエルに命じて、ベツレヘム人エッサイの子どものひとりに油注ぎをして、王として任命するように命令します。そこで彼はベツレヘムの町に出かけまて、エッサイと子らを招きます。
 最初に長男エリアブが紹介されます。彼は容貌も体格もよく、彼こそ王としてふさわしいと考えました。

・主は心を見る
 しかし主なる神の人物評価は異なりました。まず「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている」と語ります。さらに「人はうわべを見るが、主は心を見る」と続きます。
 預言者にして、人生のベテランであるサムエルでも上辺にとらわれましたが、どのような洞察力がある人間でも人物を見きわめることはできないということです。ただ主なる神のみが人物を見定めることができます。そのポイントは「心を見る」ということです。そして心が神にしっかりと向いた人物として末息子のダビデが油注ぎを受けます。

・子どもたちのために
 私たちは、親であっても自分の子供の心を正しく評価できないし、十分に育てることはできません。特に心の深いところは、ただ神が支配し、養い育てることができるのです。ですから、私たちができることはただ、神の言葉を教えること、祈ることです。そして、神を恐れる心を持つことは、子どもにとっても何よりも有益なことなのです。

2016/11/6 ピリピ2:1~2 コイノニアの一致



・キリストにある励まし
 「キリストにあって」とありますが、キリスト者は、キリストとのコイノニアに入れられているということを示しています。コイノニアとは、神の民の霊的な交わりです。そこでそれぞれがキリストによって励まし、愛の慰めをうけます。またお互いも励ましと慰めを受けるのです。「愛情と憐れみ」とは深い感情を意味します。互いに、心と魂において結びつき、互いの痛みを痛みとし、喜びを喜びとする交わりのなかに生まれる感情です。

・コイノニアの一致
 使徒パウロは、教会に対して、ただ霊と魂における一致だけではなく、思いと考えと志においても一致を持つように勧めています。霊的にだけではなく、具体的な教会活動においても一致を持つようにということです。教会には、色々な考えと性向を持つ人々が集い、十人十色の状態ですから、その中で一致を持つことは困難な面もあります。しかし、キリストの故に、あえて一致を作ろうとする中で、それぞれの信仰と愛が鍛錬され、喜びが作り出されていくのです。

・世界の光
  詩篇133篇「兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ」とありますが、この「一つの交わりは、今の時代にキリストによって創造された教会の交わりです。私たちは福音宣教と共に、一致したコイノニアを形成して、「世界の光」となるのです。