2018/12/23 マタイ2:1~12 ベツレヘムの星


・東方の博士たち
 ヘロデ大王の時代は表面的には壮大な建造物によって華やかさがありましたが、霊的には闇の時代でした。彼は猜疑心が強く、政治は歪んでいました。ユダヤの宗教的リーダーたちもまた、保身のために形骸した伝統を守るだけでした。
 この時代にキリストが誕生しましたが、その誕生を知ったのは、ユダヤから遙か東方の博士たちだけでした。彼らは自分たちが、闇の中にあることに気づいて、求道していました。そこに、神によって救いの光が照らされたのです。

・ベツレヘムの星
 「私たちは、東のほうでその方の星を見た」とあります。「星」については、様々な説がありますが、神が彼らの求道心に特別な輝きとして示された星であったことは確かです。そして、その星を「ユダヤ人の王」誕生を告げる星と理解し、その星に導かれてエルサレムに来訪しました。
 パスカルは、次のように語っています。「神から心情の直感を通して宗教を与えられた人は幸福である」と。彼らはそのような人々でした。

・博士たちの礼拝
 博士たちは、ベツレヘムが誕生の地であることを知らされ、ついに「母マリヤとともにおられる幼子を見ひれ伏して拝んだ。」とあります。肉眼では、普通の幼子でしたが、彼らは幼子の内にも神の光を見たのです。
「…宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」と、彼らの信仰告白と献身の姿が示されています。そこにクリスマスの礼拝者の姿が明瞭に現されています。

2018/12/16 ミカ書5:1~9 キリスト預言


・暗闇の中で
 預言者ミカは近未来の危機を預言しています。それは町が外国軍によって支配される暗闇の時代についての預言でした。しかし、神はミカに対して、暗闇の中で遠未来の希望を啓示されます。また、ミカも暗闇の中で絶望することなく、恵みの神に期待していたので、その希望の預言をしっかりと受け止めています。

・キリスト預言
ベツレヘム・エフラテよ。あなたは最も小さいものだが、イスラエルの支配者になる者が出る。
 有名なミカ書のキリスト預言です。マタイ2章とヨハネ7章で引用されています。ベツレヘムはエルサレム南方10キロにある町でした。ボアズ/ルツ物語の舞台、ダビデの出身地です。「最も小さいもの」とあるようにこの町は、当時、「小さく」、人の注目を集めるようなところではありませんでした。しかしミカは、「イスラエルの支配者になる者が出る 」とキリストの誕生地となることを預言しています。神は先祖ダビデに誓った約束を必ず成就させることを示しています。

・キリストの小ささと信仰
 彼の民となる者に要請される条件は「彼らは人に望みをおかず」で、目に見える大きさや外見に囚われないということです。実際にキリストがベツレヘムに誕生したとき、彼の小ささと貧しさ故に、多くの人々は目を留めることもありませんでした。ただ小ささという躓きを乗り越えた者たちだけが彼を知ることとになりました。

2018/12/9 ミカ書4:1~5 終わりの日に


・終わりの日に
 預言者ミカは遠未来の希望を預言します。「終わりの日」とは、神の救いの計画が成就した時代のことです。「主の家の山は、山々の頂に堅く立ち 」とは、その時代、エルサレムが、全世界のどの宗教、思想、権威、力よりもすぐれたものとなるということです。ただし「エルサレム」とは、地上から高く上げられた「天のエルサレム」です。

主のことばが出る
 その時代、全民族が自分たちの古来からの神々や宗教を放棄して、エルサレムに求道してやって来るという有様が預言されています。その理由は、そこから「みおしえ」「主のことばが出るから」とあります。聖書の宗教では、徹底して神のことばが重視されます。旧約時代は人の罪を暴く戒めが律法という形で与えられました。「終わりの日」には、人を生かす福音が、神のことばとして与えられるのです。それは罪の赦しと永遠の生命が宿されたことばです。それ故、全民族は「来て」「さあ」「上ろう」「歩もう」と強い求道心を持ってやってくるのです。

・「終わりの日」に生きる私たち
 ミカの預言は、その700年後にイエス・キリストの誕生によって実現しました。それ以来、預言通りにすべての民族が、「主のことば」を求めて、「来て」「さあ」「上ろう」「歩もう」と呼びかけ合って、天のエルサレムに向かっています。それは具体的には、互いにみ言葉を求めて礼拝に集うことで実現しています。礼拝で、私たちは天に向かう巡礼者の集団となるのです。

2018/12/2 ミカ書3:1~8 預言者…地の塩、世の光


指導者たちの罪と民の悲惨
 預言者ミカはイスラエルの指導者たちを非難しています。彼らは神によって権威が与えられ民を牧するために任命された者たちでした.ところが、「善を憎み、悪を愛し」「人々の皮をはぎ」「わたしの民の肉を食らい」という表現されているように、極度の搾取と暴虐を行っていました。彼らの神に対する反逆は、具体的には貧民に対する搾取と暴虐という形で現れていたのです。しかし神の目には、小さい者たちも貧しい者たちも「高価で尊い」ご自身の民でした。

・偽預言者たちの罪
 ミカは同業の預言者たちに対しても非難しています。彼らもまた神によって民に指針と救いを与えるために任命された者たちでした。しかし霊的権威を腹の満たしと金儲けのために用いていました。彼らは「歯でかむ物があれば、「平和があるように。」と叫ぶが、彼らの口に何も与えない者には、聖戦を宣言する。」とあるとおりです。

・「しかし 私は」
 「しかし、私は力と、主の霊と公義と、勇気に満ち…」と語っています。「しかし、私は」はたいへん強い、反対の意志を現します。神の霊に満たされて、一人、世の流れに抗して立つ預言者の姿がそこに見られます。彼は周囲の人々がどのようであっても、ともかく神からの召命に答え、献身して預言者職を全うしたのです。
 この姿勢は、世に生きる私たちキリスト者にも要請されるものです。私たちも主キリストによって地の塩、世の光とされている者です。その塩気を発揮し、暗い時代にキリストの光を精一杯、輝かせましょう。