2019/6/23 出エジプト13:17~22 雲の柱 火の柱


・荒野の道
 過越の後、主なる神はイスラエル人を近道のペリシテ人の道ではなく、遠回りの荒野の道に導かれました。民の信仰の弱さを慮ってのことでした。また荒野の道は、危険のようでいて、彼らを神の民として訓練するために最善の道だったからです。

・雲の柱 火の柱
「主は昼は雲の柱の中に、夜は火の柱の中」にいて民を導いたとあります。雲の柱は、民を先導し、荒野の迷路の中でも最善の道に導きました。また日を避ける陰となって守りました。「火の柱」は民を照らし、夜の恐怖と災いから民を守りました。

・導きと臨在
 主なる神は旧約の民形成のはじめの段階で、明瞭な形でご自身が、共にいる神、導く神、救いの神であることを示されました。荒野の40年の後、カナンに定着した時には、雲の柱も火の柱も見えなくなりましたが、神は、まったく同じように民の救いの神として臨在されたのでした。

・私たち
 私たちの時代にも神は目には見えません。しかし旧約の民以上の愛を持って、神は私たちと共におり、導きを与え、救ってくださる方です。私たちは信仰の目によって、その神を見て、導きを受け、希望と勇気をもって、時代の荒野を前進していくのです。

2017/6/16 父の日礼拝 創世記28:10~19 父の価値観


・旅立ち
 ヤコブは兄エサウとの争いを避けて、父と母の元から離れて、逃げるようにして旅立ちます。旅の途中、不安と恐れの中で意志を枕にして野宿しました。その時、天からはしごが立てられて御使いが上り下りしているという不思議な夢を見ました。不安と恐れの中で、彼の一族が保ってきた天との交流の中に生きる価値の意味が明らかにされて、彼は一人ではないことを発見した体験でした。

・父の神との出会い
わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である」。神がヤコブのかたわらに立って告げたことばです。それと同時に、彼自身の祝福と約束の言葉を受けます。これは彼が父の神と出会う体験でした。
 彼はこれまでも神を父イサクとともに礼拝することがありましたが、その神を自分自身の神とは意識していませんでした。しかし父の礼拝する姿から、知らないうちに神を自分の価値として受け取っており、神もまた彼を覚えてくださったのです。

・生きた神信仰
 父の背中から学ぶといいますが、価値観についても同じです。しかし悪い価値観ならば、子どもの精神を抑圧し殺すことがあります。反対に、良い価値観は子どもを生かし、危機の中でも希望と平安を保たせます。父親は、普段の生活において自分自身に与えられた「価値」を自分の内に深め、それに従った人生を歩む必要があります。

2019/6/9 出エジプト12:1~7 過越と贖い


・傷のない子羊
 エジプトに対する十の災いの最後は、最も厳しい裁きとなります。しかし主なる神はイスラエル人のために裁きから逃れる手段を示します。それが「傷のない子羊」でした。「傷のない」とは完全という意味で、これまでノアやアブラハムについて「全き人」という場合の「全き(完全)」という言葉と同じです。実際に子羊は純白で如何にも傷も汚れもない姿です。

・贖い
「夕暮れにそれをほふり…その血を取り二本の門柱と、かもいに、それをつける」とあります。子羊の血が民の贖いとなったのです。「贖い」とは敵や他者の支配にある者を代価をもって買い戻すと言う原意があります。神は子羊の生命と血によって、民をエジプトの支配、偶像の支配、そして罪の支配から買い取り、ご自分の所有とされたのです。それで彼らは神の民として「腐ったパン種」のない交わりに招かれたのです。

・ 過越
 第十番目の裁き時、エジプト全家で人間と家畜の初子が、ことごとく殺されました。しかし神はイスラエルの家では血を見て過ぎ越されたので、裁きからまぬがれました。
 この出来事は今から3500年前の出来事ですが、私たちの時代に起こることのひな形です。私たちはイエスの血によって裁きを免れ、神の民として永遠の生命に入れられるのです。(ヨハネ1:29,3:36

2019/6/5 出エジプト7:1~7 十の災い


・モーセとパロ
 神はモーセを神の代理人、アロンを預言者としてエジプトの王パロと対決させます。また神ご自身が「パロの心をかたくなにし」て、そのかたくななな対決姿勢の中で、神の不思議としるしを際だたせることを予告します。世界一の権力者との真っ正面の対決を通して、主なる神ご自身を全世界に現すためでした。

・十の災い
 神がエジプトに対して行う「しるしと不思議」とは、十の災いでした。①ナイルが血に。かえる。ぶよ。④ア。⑤家畜の疫病。腫物。.⑧イナゴ。暗やみ。⑩初子を打つ。それぞれを通して、厳しくエジプトとパロに害を与えました。それはエジプトの神々と世界観に対する裁きでもありました。このようにして、神はエジプトと全世界に対して、主なる神こそが唯一の神、審判者であることを明らかにしました。

・ 闇のなかの光
 この時、神の民はエジプトの民と区別されました。たとえばエジプト全土が暗やみの覆われた時、「イスラエル人の住む所には光があった」とあります。裁きの中でも神の恵みは御民から取り去れることなく、特別に扱われたのです。
 今日でも、異なった意味で御民には区別された領域があり、どのような時にもそこだけは神の恵みの光に満ちているのです。それはイエス・キリストの御元です。黙示3:20