2012/9/23 イザヤ10章 絶対主権の神

・アッシリヤ王の高慢
  イザヤの時代、アッシリヤ帝国は諸国を侵略し、空前絶後の領土を持つようになっていました。それとともにアッシリヤ王の高慢も自分を神とするほどに高じていました。彼はイスラエルの神を無視して「私は自分の手の力でやった。知恵でやった。私は賢いからだ。」と公言していました。これはすべて高ぶる者の思いであり、姿です。




 ・絶対主権者の神  そこでイザヤは、イスラエルの神こそが絶対主権者の神であることを宣告します。彼はただの道具であって、高ぶってはならないのです。 「斧は、それを使って切る人に向かって高ぶることができようか。のこぎりは…おごることができようか。」  





 ・神が神として明らかに  神はご自分こそ真の神であり、絶対主権者であることを歴史を通して明らかにされます。事実、この宣告の後にアッシリヤの王はあえなく滅びます。また歴史上でも、驕る者や高ぶる者は、つかの間に歴史の流れの中に消え去るのです。ただ聖書の神のみが、真実の神、力ある神として明らかにされるのです。


 ・力ある神に立ち返る 私たちの時代も、人々は力ある人、豊かな社会、強力な国家に頼ります。あるいは自分だけを信じると豪語する者もいます。しかし、ただ頼るべき方は、長い歴史を通してご自分を絶対者、救済者として啓示しておられる聖書の神以外にはないのです。



2012/9/9 イザヤ9章 平和の王キリスト

・大きな光
イザヤの時代に、アッシリアが北イスラエルに侵略して3分の2の地域を占領しました。それは旧約の民にとっては、苦しみであり、闇の体験でした。  しかし神は闇の中でこそ光を示されます。イザヤが啓示されたものはこの世のどのような闇にも打ち勝つ「大きな光」でした。
・一人の嬰児  「ひとりのみどりご」とは小さく、へりくだり、柔和な存在を表しています。しかし、彼の上に神の十全の恵みと力が注がれ、その一切は「私たちのため」に用いられます。
  また彼はアブラハムの子孫、ダビデの子孫として預言されてきたキリストです。彼は新しい人間の代表として立てられています。 
・平和の王キリスト  「みどりご」には、二面性があります。見た目は小さいのですが、実は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」 とされています。彼は人々に知恵を与え、どのような悪と危険からも救い、どのような時にも受け入れ、完全な平和と幸いを与えます。






 ・信仰の目で見る  私たちにとってもキリストは、しばしば小さく、弱く、存在が薄いように思われます。しかし信仰の目で彼を見るとき、彼は私たちをも新しい人に創り変え、日々「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」として伴ってくださるのです。

  

2012・8・19 イザヤ6章 贖いと召命



・聖なる神
  ウジヤ王の死んだ年(BC742年)、イザヤは国の将来に危機感を持っていました。その時に、神である主を見るという体験をしています。
  高いところに神の王座があり、セラフィムが「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。」と賛美していました。神こそが絶対の聖い方で、そこには人間が立ち入ることができないことを示していました。



 ・人間の罪と汚れ
  イザヤは主なる神を見た時に、自らのくちびるの汚れと罪がしめされました。「ああ、私は、もうだめだ。」と思ったのです。神の聖さに照らされて、自分の実態に気づきます。それはいつの場合にも、罪に汚れた存在です。
  イザヤの場合は、預言者としての召命を覚えていたので、「くちびるが汚れている」ことは、致命的でした。

 ・贖いと召命
 しかし、主なる神によって罪が示されることは、幸いなことでした。イザヤは天の祭壇から取られた「燃えさかる炭」によってくちびるの汚れと罪が聖められたのです。それはイエス・キリストの贖いの予兆です。
  その後、神の召命がありましたが、彼は自発的に応答しました。神によって聖められた者は、いつの場合でも、神の業に対して自発的な応答があるのです。






2012/9/2 イザヤ7:1~14 インマヌエル

・動揺と恐れ
  南ユダのアハズ王と民は、敵のアラム軍が北イスラエルに駐屯しているという情報を聞き、非常に動揺しました。彼らは主なる神ではなく、目に見える偶像や大国を頼りにしていたのです。目に見える物を頼る人々は、危機に際して、動揺しうろたえるのです。

 ・神の臨在と救いの勧め
 神は、そのような王と民に対して語ります。「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません」「心を弱らせてはなりません」4。また「あなたが信じなければ、長くたつことはできない。」
 神は、どのような時にも、民と共にあり救うことができる方です。目先の危機にうろたえることなく、信仰を保つべきなのです。




 ・処女懐胎の印
  さらに主なる神は、アハズ王に神臨在の印を求めるように促します。アハズ王はそれを拒みましたが、神はイザヤを通して処女懐胎の印を預言します。この預言は、約730年後にマリヤによって成就します。
  処女懐胎の印を通して、神は御民と共に存在すること、しかも無限の力と愛とをもって、どのような危機からでも救ってくださることを示しています。
・インマヌエル 
 「その名をインマヌエルと名づける」とあります。意味は「神は私たちとともにおられる」です。そのなのとおり、神は21世紀の私たちとも共におられて、どのような危機からも救ってくださるのです。私たちは信じて、心の静かさを持つことによって、現代に神を証するのです。