2010/6/20 創世記22:1~14 父親の価値観

・試練において
 神は「全焼のいけにえとしてイサクを・・・ささげなさい」と命令し、アブラハムを信仰の試練にあわせられました。試練の中で、信仰者はますます神に対する姿勢を整えていきます。アブラハムはみことばに対して即座に応答します。翌朝早く、イサクを連れて神の山に向かいます。

・父の態度・・・刀と火
 三日目にその山が見えたので、アブラハムはイサクと二人だけで山に向かいます。イサクには薪を背負わせ、自分は「火と刀」を手にとって進んでいきました。
 「火と刀」は息子を完全に神にささげようとする信仰と献身の姿です。子供は父の背中を見ると言われますが、イサクはそこに父の神信仰を見ています。

・父と子の会話
 アブラハムとイサクの会話は父と子の会話の理想型です。子の質問に父は優しく威厳をもって答えています。子には色々な不安や恐れがあります。しかし父は「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださる」と神の恵みに対する全幅の信頼を告白しています。子は、父の態度と言葉を通して父の価値観を知り、それを自らの価値としていきます。

・父親の価値観
 現代社会は病んでいますが、それは社会全体が真実の価値観を喪失しているからです。この時、キリスト者の父は子供たちに自らが尊しとする方を真実で明瞭な形で知らせていくべきです。

2010/6/13 マルコ13:1~13 最後まで耐え忍ぶ

・初臨から再臨までの時代
 主イエスは弟子たちに対して初臨から再臨までの時代について展望を与えます。その時代はもやはエルサレムの神殿中心の時代ではなくキリストの弟子たちの時代/教会の時代です。しかしそれは産みの苦しみの時代で、その苦しみを通して教会は完成と栄化に向かうのです。

・惑わされない、あわてない
 この時代、多くの偽キリストが登場してキリスト者を惑わそうとします。また戦争や地震、飢饉の時代もあって、サタンは神の臨在を疑わせてあわてさせようとします。
 私たちは短絡的な判断をしないで、神の前に静まって祈り正しい判断をする必要があります。

・福音を証する
 苦しみの時代は、福音が拡大するときです。あらゆる機会が福音宣教のための好機となります。教会は、時が良くとも、悪くとも福音宣教を心掛けるのです。「あらゆる民族に宣べ伝えられなければ」というのが、神のビジョンです。

・聖霊に頼る
 福音の証は、人間の業ではありません。聖霊が伴って私たちに代わってあかしさせてくださると言うことを信じるべきです。証だけではなく、私たちの生活の全般は聖霊の導きの中にあり、あらゆる時が好機とされ、その人自身も聖められます。

・最後まで耐え忍ぶ
「最後まで耐え忍ぶ人は救われます」とみ言葉の通りです。忍耐する中で、聖霊の御業は完全に完成に向かい、神の救いの世界は成熟、完成するのです。

2010/6/6 マルコ12:38~44 礼拝の心得

・律法学者の偽善に対する警告
 主イエスは律法学者たちの偽善に気をつけるように警告されます。彼らは自分の敬虔さ、権威、優越さを人の面前にアピールするためにのみ心を配っていました。「長い衣を着て歩き回ったり、広場であいさつされる・・・会堂の上席、宴会の上座が大好き」でした。しかし偽善は人の目はごまかせても、神の目には悪として判断され、「人一倍きびしい罰を受ける」のです。

・貧しいやもめの献金
 正反対の例として「やもめの献金の話」が紹介されています。貧しいやもめがレプタ銅貨2つ(約100円)を投げ入れました。それは金額としては小さいものでしたが、貧しいやもめにとっては「生活費の全部」でした。主イエスは「どの人よりもたくさん投げ入れた(献金した)」と最大限の評価を与えました。

・礼拝の心得
 この2つの物語を通して、主イエスは私たちに礼拝と信仰生活の心得を示しておられます。第1に、私たちは偽善であってはならないと言うことです。人の目を気にしてばかりでは、いくら人の評価を得たとしても、神の前では「きびしい罰」を受けることになります。
 それに対して、私たちの奉仕、ささげ物が、いくら小さいものでも、神様の前に精一杯捧げたものならば、神は「善し」としてくださるのです。目に見えない神を信じて、心からのささげ物をすると言うことが大切なのです。

2010/5/30 1ヨハネ5:14 お母さんの祈りは聞かれた


■神に対する確信としての祈り
 私たちは神を信じています。その具体的な姿は「神はその願いを聞いてくださる」という確信に基づいた信仰生活によって現されます。次に祈りの確信によって歩んだ人の証を紹介します。
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Nさんは12才の長女、9才と8才の男の子を持つお母さんでした。よく証し祈る方でした。男の子が買い物の帰り道に50円玉を落としたことがありました。Nさんはその子とともに祈り、暗くなるまで探し続けてついに見つけたことがありました。

■それから数年後、Nさんは顎下に悪性黒色腫の癌ができました。それが他の部分にも転移して闘病生活が始まります。初めて入院したときに、「これから神によって派遣されて伝道旅行に行く」という思いが与えられていました。そのように入院生活の間に同室の人々など16人の魂が救いに導かれました。

■しかしこの間、Nさんの気がかりは子供たちのことでした。特に長女のムちゃんのことでした。ムちゃんは自分がお母さんのようになって弟たちの面倒を見ないといけないと思い。気負いとプレッシャーでかえって家事が嫌いになり、皆と衝突するばかりだったからです。お母さんは祈りました。

■2年半の闘病後、お母さんは息を引き取りました。ムちゃんは「お母さんは天国に行ったのだ」と確信してはいても、お母さんの病気の苦しみや自分の身勝手さを思いおこしては心の傷になっていました。

■けれども数年後、お母さんと同じようにして祈りながら過去を振り返ったとき、お母さんのすべての祈りは今も働き、その通りに聞かれているのだと気がつきました。多くの人が救われたこともそうですが、その他に、兄弟が仲良くなり、さらにムちゃんもが家事が大好きになっていることなどもです。