2011/6/26 ローマ6:12~14 義の器として

・死ぬべき体を
 私たちは終わりの日に新しい体をいただきますが、地上ではなお「死ぬべきからだ」を持ちます。またそれは「罪のからだ」であり、「無能なからだ」です。
 しかし神は、私たちをキリストのゆえに恵みの支配におき、「死ぬべきからだ」をも生かして用いてくださいます。

・罪に委ねてはならない
 私たちが「死ぬべきからだ」を用いていただくためには、方向転換が必要です。まずは、これまで自己中心に生き、罪と情欲のままに生きていた生き方を改めなければなりません。それは罪と悪魔に対して「自分の手足を「不義の器」としてささげている生き方なのです。つまり神に対して積極的に敵対する生き方であったということです。

・義の器として捧げる
 「義の器」とは、神に喜ばれる道具ということです。「死ぬべきからだ」であっても、キリストによってきよめられており、神を喜ばせ、神のために用いられる器、道具とされているのです。
 ただここで大切なことは「ささげる」という意志と献身の心です。それはちょうど、車のギアに似ていてニュートラルからドライブにギアチェンジすることなのです。それでもって車は前進するのです。

・満たされた生涯
 「・・・ささげる」ことは、一回で終わることではありません。神が要しておられる礼拝において、毎日のデボーションのときに何回も捧げ続けることで、新鮮さをいつも保ち、いよいよ通りよい義の器とされるのです。

2011/6/19 イザヤ51:1~3 父親の輪郭

・掘り出された岩
「あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ」
 石工は、岩山から石を切り出します。その石は、石工の考えたとおりの形に存在し、他の岩とは、明瞭に区別された輪郭をもつことになります。また「掘り出された穴」のほうも、クッキリとした形に残ることになります。
 神は、そのようにして人を召して、ご自分の目的の形に切り出す方、掘り出す方です。

・父アブラハム
 信仰の父アブラハムは、そのよい例です。彼はメソポタミアのウルという偶像の町に住んでいましたが、唯一神に対する信仰をもっていました。また神の召命によってカナンの地に移住しましたが、幾多の試練の中、クッキリとした神信仰とそれに伴う価値観をもつ人として整えられました。
 アブラハムの信仰者としての姿は、それ以降の人々の模範となりました。人々は彼の信仰者としての輪郭に真似ることになったのです。

・父の輪郭
 現代は、父の輪郭が不明になっている時代ですが、若い父親は明瞭な信仰と価値観をもつべきです。それが子供たちの心に残り、彼らの心を育むことになります。
 金澤翔子さんは若手の女流書家ですが、彼女はダウン症です。生まれたとき、母親は我が子が病気だと言うこと絶望しました。しかし父親はクリスチャンの価値観により彼女を生かし、助け、愛し通しました。その父親の輪郭が彼女を育んで、人々を感動させる書家としたのです。

2011/6/5 ローマ6:5~11 十字架/復活につながる

・十字架/復活につながる
 6章では、聖化についてしるされています。その秘訣は、キリストに継ぎ合わされていることです。具体的には「キリストの死/復活と同じようになること」ことです。私たちは、あらゆる手段を通して、このことを実現するのです。聖霊もまた、私たちを日々導き、私たちのうちにキリストの御業を刻むのです。

・「知る」「信じる」「思う」こと
 キリストの死/復活を私たちのうちに刻むに際して、「知る」、「信じる」「思う(納得する)」という、精神と心の作用が必要とされます。 聖霊はキリストと御業を伝えるということが、恍惚の中で働くのではなく、この理性と意志にも十二分に作用して私たちのうちに働くのです。私たちはこのために、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、知性を尽くすのです。

・ 新しい人格形成
「神の御業は、我々の内に第1日の内に完成するものではない。むしろ徐々に増進する。そして日に日に段階をおって成長し、ついに終局にいたる。」
ちょうど、画家や彫刻家のように私たちは御言葉と聖霊により、あらゆる局面を用いて、知り、信じ、思いつつ、キリストに結びつきます。そして自分のうちにキリストを形成するのです。それは、キリストに似た新しい人格であり、まさに神の作品です。

2011/5/29 マタイ5:43~48 あなたの敵を愛しなさい

・隣人を愛し、敵を憎め
 ユダヤ人は自分の家族、民族を隣人また仲間として愛しました。他方、異教徒や異民族を部外者また敵として憎み、憎むことで神に仕えていると考えていました。
 これは私たちの社会にもある体質です。自分たちの枠外の人々を敵として憎んでもよし、軽蔑しても良いと考えるのです。そこでは様々な問題と人格の歪みが生じます。

・あなたの敵を愛しなさい
 「自分の敵」とは、身内、仲間以外の人々のことです。あるいは自分の害となる人、不利益になる人、傷つけ迫害する者たちです。愛するとは人格と生活において有益となることを願うことです。「自分の敵を愛する」ということは、天の父の姿勢であり、それを実行して初めて私たちも神の子として新しい人となり、私たちの問題も解決するのです。

・愛のための戦い
 1950年代のアメリカでは市バスなどでも厳然とした差別がありました。パークス夫人はそれに断固抗議して逮捕されたのがキッカケで、人種差別撤廃のため運動が起こりました。その運動を指導したのがキング牧師です。
 彼らは「あなたの敵を愛しなさい」という聖句をテーマとして運動を進めました。決して暴力を用いず、憎まずをモットーとしました。また、新しいニガー(黒人)になり新しい社会を創るという信仰を持って戦ったのです。