2011/01/23 ローマ4:1~8 信仰義認の人々

・旧約聖書でも信仰義認
 神が人を受け入れる手段はいつも信仰の道でした。それは旧約聖書の世界でもまったく同じです。
 ローマ人の手紙では、使徒パウロはその代表者としてアブラハムやダビデだけを上げていますが、すべて神に喜ばれた人々は信仰の人であったことをヘブル11章などで明瞭に示しています。

・信仰による父祖アブラハム
 アブラハムはユダヤ教でもイスラム教でもキリスト教でも、自分たちの父祖としています。彼が人間の歴史に与えた影響は測り知れません。何が原因で彼は祝福されたのでしょうか。
 それはただ彼の信仰です。彼は神によって子孫が空の星のようになると示されたときに「神を信じた」のです。信じるとはアーメンということです。神は約束の通りに実現なさる力と恵みの神、真実な方ということを心から認めたのです。「それが彼の義とみなされ」ました。

・ダビデの場合
 ダビデは旧約聖書きっての英雄であり、最大の祝福を受けた人物です。彼は勇者として、賛美者、預言者として神に仕えましたが、大きな罪を犯していました。それによってすべての業も虚しくなり、むしろ呪われた者となったのです。
 彼が神によって罪が赦され、祝福を回復させたのは信仰でした。「砕かれた悔いた心」こそが、どのようないけにえや善行よりも神の前に尊いいけにえだったのです。

2011/1/16 ローマ3:27~31 信仰の原理

・信仰による救い
 人が義と認められること、すなわち救われるためにはただ信仰によるということが言明されています。信仰とはイエスと福音を信じるということです。当時のユダヤ教から様々な異教に至るまで、ただ信仰によって救われると教えるところは皆無です。いずれの宗教でも何らかの行いが強調されるのです。肉の性質は行いや業に敏感ですが、信仰と言うことには無頓着になりがちなのです。しかし小さく見える信仰に神の救いの一切が凝縮されています。

・信仰の原理
 信仰自体は小さいものでも、その背後にある原理は、救いの巨大システムです。それは目に見えない御霊のシステムで、後で生命の御霊の原理と語られることになります。信仰の原理イコール御霊の原理なのです。
 ちょうど巨大なオートメーションの機会でも、起動は小さなスイッチです。そのスイッチさえしっかりとオンになっていれば、巨大なシステムは動いているのです。

・信仰の原理の結実
 信仰の原理は救いの原理ですが、パウロは幾つかの具体的な結実について記しています。1つは人間の高ぶりの破壊と神賛美。1つはユダヤ人だけではなく、すべての異邦人をも救い、さらにどのような小さな者も救い、深く広く救いが広がるのです。1つは旧約の人々が到達できなかったこと、すなわち律法を確立させると言うことです。

2011/1/9 ローマ3:25~26 義を超えた神の義

・「今の時」に現された神の義
 義は、十戒において示されています。人は行いにおいても思いにおいても、その神の義を満たすことが義務づけられています。神の義を侵すものは罪人であり、当然の裁きを受けます。裁くと言うことも神の義の要素です。その裁きは普通は、罪を犯した人間に下されるものです。
 しかしながら、「今の時」に示された「神の義」は、一般的に考えられる「神の義」を考えを遙かに凌ぐ「神の義」でした。

・神の義とは十字架のイエス
 神の義とは十字架のイエス御自身だと言っていいのです。十字架のイエスは肉の目には惨めですが、何よりも気高い姿であり、神を義とし、罪人をも義とする超越した神の義の姿です。

・信じる罪人も義とする「神の義」
 「こうして神ご自身が義であり・・イエスを信じる者を義とお認めに」なったのです。
信じる心に、一般的な義を超えた神の義が映し出されたのです。ちょうど冬晴れの富士山のように諸々の義を遙かに凌ぐ神の義が顕わにされるのです。

・信仰者も「神の義」にならう
 「神の義」によって義とされて救われた者たちは、神の義に真似るべきです。それはことさら自分の義を主張するのではなく、自分自身も痛み、犠牲を払うというた義の姿です。その義がいつの社会においても求められています。

2011/1/2 地の塩 世の光 マタイ5:13~16

・塩気
 塩とは岩塩のことで、塩気がぬければただの土の塊となります。キリスト者は、キリストの御言葉を聞き、信じることをとおしてキリストの生命と聖さを受けます。それが塩気です。

・地の塩として
 地は、そのままでは腐敗が進む世界です。神信仰、親子関係、夫婦関係、すべての人間関係で腐敗が進み堕落し、関係が壊れていきます。
 キリスト者はこの地上におかれていますが、それは塩気を発揮して腐敗を防ぐためです。

・光
 光とは、暗やみの中でよく輝きます。ライトも暗やみを照らすために点灯されます。キリスト者は光であるといわれていますが、その光はただキリストとその御言葉をとおして受けます。信じて、告白して生きる中で光を外に輝かせることができます。

・世界の光として
 私たちの時代はいよいよと暗くなり、人々は希望を見失う時代です。世界を闊歩するのは虚無、絶望、罪と死という時代になっていきます。
 こうした時代に、キリスト者はキリストから受ける光を世界において輝かします。私たちは、自分が照らす使命のために先に救われたのだということをしっかりと自覚すべきです。