2011/1/9 ローマ3:25~26 義を超えた神の義

・「今の時」に現された神の義
 義は、十戒において示されています。人は行いにおいても思いにおいても、その神の義を満たすことが義務づけられています。神の義を侵すものは罪人であり、当然の裁きを受けます。裁くと言うことも神の義の要素です。その裁きは普通は、罪を犯した人間に下されるものです。
 しかしながら、「今の時」に示された「神の義」は、一般的に考えられる「神の義」を考えを遙かに凌ぐ「神の義」でした。

・神の義とは十字架のイエス
 神の義とは十字架のイエス御自身だと言っていいのです。十字架のイエスは肉の目には惨めですが、何よりも気高い姿であり、神を義とし、罪人をも義とする超越した神の義の姿です。

・信じる罪人も義とする「神の義」
 「こうして神ご自身が義であり・・イエスを信じる者を義とお認めに」なったのです。
信じる心に、一般的な義を超えた神の義が映し出されたのです。ちょうど冬晴れの富士山のように諸々の義を遙かに凌ぐ神の義が顕わにされるのです。

・信仰者も「神の義」にならう
 「神の義」によって義とされて救われた者たちは、神の義に真似るべきです。それはことさら自分の義を主張するのではなく、自分自身も痛み、犠牲を払うというた義の姿です。その義がいつの社会においても求められています。

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