2016/1/24 ヨハネ福音書17:11~16 一つになるため



・御名の中に保つ
 「聖なる父」という呼びかけがあります。「聖」とは、隔絶されていることを意味します。神は、世と隔絶された存在者で、そこには罪も死も滅びも侵入することはありません。ただ神の栄光と生命が溢れているのです。
 「御名の中に…保って」と主イエスは祈っていますが、それは神の聖なる支配の中に保つということです。それは具体的に、弟子たちの信仰が保たれることによって実現します。
 
・一つとなるため
 「わたしたちと同様に」とは、父の神と子キリストが、それぞれの個性を保ちながら、同時に一体である関係のことです。
 そこで「彼らが一つとなる」とは、弟子たちの場合もそれぞれの個性が守られつつ、同時に一つの交わりを築くことです。
 「一つ」ということは、何よりも教会の中で実現されます。教会はキリストのからだにたとえられ、それぞれがその器官となって構成されるところだからです。

・喜びが全うされるため
 また神は私たちの父親ですから、機械的に「1つ」となることを求めているのではありません。その「1つ」において、キリストによる救いの喜びが完全になるからです。私たちの周囲には色々な喜びがありますが、この喜びにまさる喜びはありません。私たちはその喜びを教会の礼拝において、味わい、現すのです。

2016/1/17 ヨハネ福音書17:6~10 新しい神の民



・新しい神の民
 「あなたが世から取り出して」とあります。神は私たちを選び、世から取り出して「神の民」とし、同時に「キリストのもの」とされました。私たちの意志に先行して神の選びがあったのです。
 旧約時代には肉のイスラエル人が神の民とされていました。しかしそれはひな形であり、「キリストのもの」が本体です。

・みことばによる神の民
 神の民とされる実際的プロセスはみことばによります。私たちがみことばを示されて、それを知り信じた時に私たちは神の民とされたのです。
 みことばによる神の民は、決して旧約の律法による神の民に劣りません。むしろキリストのみことばによる人々のみが、真の神の民なのです。

・神の民と栄光
 「彼らによって栄光を」とあります。栄光とは神とキリストの存在、またご性質と業が顕わにされることです。神はいつの時代にも神の民を通して栄光をあらわされますが、今はキリストの民を通して、目に見えないご自身をあらわされるのです。
 私たちは、目に見える業績や能力や立場を、自分の誇りとする傾向を持ちます。しかし、それは塵芥に過ぎません。神とキリストの栄光をを持つことが信仰の誇りとすべきです。神によって「栄光を現すものと定められている」という自覚が、私たちの人生を豊かにするのです。

2016/1/10 ヨハネ福音書17:1~5 栄光が現れる時



・イエスの時
 「父よ。時が来ました。」とあります。「時」とは、十字架の時のことです。その「時」において聖書全巻が目指した罪の贖いと救いが成就する時です。また主イエスの生涯において、目指してこられた「時」でした。
 またその「時」は特別であり、永遠の神が地上の世界に接点を持つ時であって、主イエスを通して神ご自身も現される時です。

・栄光が現れる時
 「子の栄光」「父の栄光」の「栄光」とは、神が神として明らかにされることで、ただ「十字架の時」に現されました。つまり、そこで神の義と裁きが現され、さらに罪人をも愛する神の愛が現されました。
 また、その現れの目的について、「永遠のいのちを与えるため」とあります。永遠のいのちとは、決して滅びることがない生命、すなわち神の生命です。

・知ること
 「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ること」とあります。 「知る」とは、頭だけで知るのではなく、全人格的に知ると言うことであり、また礼拝を通して知ると言うことです。
 私たちの公の礼拝、個人のデボーションは、その「知る」ための手段です。そこで私たちもまた「イエスの十字架の時」に入り、そこで現された神の栄光、すなわち神の義と愛に出会うのです。

2016/1/3 ローマ5:3~5 患難と希望



・患難さえ喜ぶ
 私たちが地上に生きる限り患難があります。それはどうにかして避けたいことですが、使徒は「患難さえも喜ぶ」と言明します。その理由は、人は、患難を通してこそ、成長することができるからです。スポーツの場合でも厳しい練習があって初めて、はじめて能力が培われます。

・忍耐と練られた品性
 「患難が忍耐を生み出し忍耐が練られた品性を生み出し」とあります。忍耐という徳は、安楽、安逸の中では生まれることはありません。患難の中で培われます。しかも忍耐は、人格の基盤となります。
 練られた品性とは、よく鍛えられた性格と言うことです。よい品質の金や銀は、精錬を通して出なければ獲得することはできません。
・希望
 「練られた品性が希望を生み出」とあります。「希望」は世においても望まれる品性ですが、その場合、目に見える好条件がなければ生み出すことができません。しかし、キリスト者は、目先のことではなく、目に見えない全知全能の神を信じる信仰によって、無から有となるという絶対的希望を持つのです。

・終わり
 現代は、能力と技術が重んじられる反面、人格の成長について軽視しがちです。またその形成基盤を見失っています。私たちはキリストという基盤を持っているので、彼を通して、どのような時にも、神の子としての忍耐、品性、希望という徳を養いましょう。