2016/1/10 ヨハネ福音書17:1~5 栄光が現れる時



・イエスの時
 「父よ。時が来ました。」とあります。「時」とは、十字架の時のことです。その「時」において聖書全巻が目指した罪の贖いと救いが成就する時です。また主イエスの生涯において、目指してこられた「時」でした。
 またその「時」は特別であり、永遠の神が地上の世界に接点を持つ時であって、主イエスを通して神ご自身も現される時です。

・栄光が現れる時
 「子の栄光」「父の栄光」の「栄光」とは、神が神として明らかにされることで、ただ「十字架の時」に現されました。つまり、そこで神の義と裁きが現され、さらに罪人をも愛する神の愛が現されました。
 また、その現れの目的について、「永遠のいのちを与えるため」とあります。永遠のいのちとは、決して滅びることがない生命、すなわち神の生命です。

・知ること
 「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ること」とあります。 「知る」とは、頭だけで知るのではなく、全人格的に知ると言うことであり、また礼拝を通して知ると言うことです。
 私たちの公の礼拝、個人のデボーションは、その「知る」ための手段です。そこで私たちもまた「イエスの十字架の時」に入り、そこで現された神の栄光、すなわち神の義と愛に出会うのです。