09/11/01 マルコ9:1~8 変貌の山


・変貌の山・・・顕現
主イエスは3人の弟子たちを連れて高い山に登り、そこで栄光の姿に変わリました。衣が白く輝いたのはイエスが神の子キリストであり、天の栄光を持つ方であることを示しています。主イエスは下僕として地上の生涯を過しますが、本質は神と同質の栄光を持つ方なのです。

・モーセとエリヤ
山では、モーセとエリヤが現われてイエスと話していました。ニ人とも旧約聖書を代表する入物で、旧約の一切の預言が神の子キリストを指し示し、さらに「イエスこそキリストである」ことを証ししているのです。
この光景は肉眼で見えたことであると同時に聖霊が弟子たちの心を照して明らかにされたのです。私たちの場合も、旧約聖書を読んでそこにキリスト預言を見いだしてイエスと認めるとき聖霊もまた恐れと感動により証しします。

・神の声
さらにイエスを証しするものがあります。それは神の声です。「これは、わたしの愛する子...彼の言うことを聞きなさい。」これは明暸に「イエスが神の子キリスト」であることを証言しています。弟子たちもよく覚えており、ペテロもその手紙(Ⅱペテロ1:17)で触れています。イエス以上に神について、救いについて、裁きについて啓示する方はありません。

・栄光のイエスを覚える
この顕現は、弟子たちが試練の中でも栄光のイエスを覚えさせるためでした。やがてイエスは十字架につけられますが、弟子たちは、復活の姿に出会うこと共に、この栄光のイエスを想起して、聖霊によって強められたのです。
 このことは、同じ試練の中におかれている私たちの場合も全く同じです。イエスが神の子であることを心に刻むことにより、聖霊はその栄光を顕わにします。(Ⅰペテロ4:14)

09/10/25 おりにかなった助けヘブル4:14~16

 11/25礼拝説教は、鈴木弘司先生でした。

09/10/18 豊かな実を結ぶ秘訣 ヨハネ15:1~17 

 佐々木 炎師の礼拝説教でした。

09/10/11 自分の十字架を負う マルコ8:31~38


・人の子の苦難と復活
 信仰告白した弟子たちに対して、主イエスは「人の子の苦難」について示されます。「人の子」とはキリストのことで、贖い主であり、真の人の姿を示します。
 キリストは予知したとおりの生涯を歩みます。ユダヤの指導者たちによって、憎まれ、捨てられ、十字架上で殺されます。彼の地上の生涯は、世の流れによって完全に否定され、抹殺されたのでした。
 しかし苦難の中で、信仰と従順を貫くことは、神の生命が注がれる契機となります。「三日の後によみがえられなければ」とはそのことです。このようにして、主イエスは真の人が辿るべき生命の法則を示します。

・下がれサタン
 しかしペテロは「イエスを・・・いさめ始めた」とあります。彼は信仰告白後も、キリストと御業について不鮮明で、世の人生観に支配されていました。世の人生観にとらわれる者は、神の御心よりも人間的願望を大切にしてしまうのです。  
 「下がれ。サタン。」と主イエスはペテロを厳しく叱責します。弟子である者が、心に銘記すべきことだからです。人間的分別と優しさのようでありながら、その心はサタンの下にあり、神に敵対する者となっているです。

・自分の十字架を負う・・・生命の原則
 「自分を捨て、自分の十字架を負い」と主イエスは語ります。主イエスの地上の生涯は贖いのための生涯であると同時に、信仰者の生き方の模範となるためでした。世の流れに抗してのみ、イエスの道を歩むことが可能となるのです。誤りの否認によってのみ正しさが貫かれます。
 また神が祝福する生命とは世と人間の虚偽の中には生じません。十字架の法則に歩む者だけが復活の生命を得るのです。また同時に、歴史の真髄も十字架の法則に従った人々によってうち立てられているです。

09/10/4 あなたはキリスト マルコ8:27~30


・心頑(かたく)なの中で
 マルコ福音書の背景には、人々の心の頑なさがあります。「目がありながら見えず、耳がありながら聞こえない」と主イエスが語られるとおりです。主イエスの願いは心の目と耳が開かれることです。聾唖者の耳と盲人の目の開くという奇跡の背後に、弟子たちの心を開こうとする願いが込められているのです。
 
・あなたはわたしを誰と
 「では、あなたがたはわたしをだれだと言いますか」。主イエスは一般論ではなく、「あなたはわたしを」と主体的な信仰を求めます。私たちはいろいろな「あなたと私」の関係を持っていますが、その中心は神との関係です。この中心の関係が正しいときに、私たちの目は開かれてすべての領域においてもよき関わりを持つことができるようになります。
 主イエスとの関係は神の領域における関係です。私たちが主イエスを正しく告白できる時に、私たちの目が開かれ、生活のすべての領域に光が差してくるのです。

・あなたはキリスト
 「あなたは、キリストです」とペテロは信仰告白します。この告白の背後に神の霊の働きがあります。神によってのみ人は心の目が開かれるからです。キリストとは「油注がれた者」という意味で旧約の王、大祭司、預言者のすべてにまさる神の子を意味します。「わたし」は彼を通してのみ、一切から救われ、一切の罪をきよめられ、神の一切を知ることができます。

・さらに明瞭にキリストを刻む
 ペテロの信仰告白はマルコ福音書の分岐点となり、これから後半の十字架と復活の場面に進みます。それに従って、ペテロと弟子たちのキリスト信仰も正され、深められていきます。
 これは私たちの場合も同じです。つまり私たちにとっても信仰告白が一つの目標であり、さらにこれを基点としてキリストの姿をさらに明瞭に、正しく心に刻んでいく信仰生活が始まるのです。