2017/11/26 エレミヤ37:17~21 その後のエレミヤ



・その後のエレミヤ
 預言者エレミヤは、古代イスラエル民族の苦難の時代に、長い生涯にわたってして活躍した人物でした。彼はその預言故に、人々によって迫害されたのですが、彼の結末は、神に守られた者であることが、明確に示されています。
 
・監視の庭とパン
 37章ではエレミヤはその預言故に迫害されたことが記されていますが、しかしゼデキヤ王によって監視の庭に移されて、かえって患難と死から免れていたことが分かります。確かに軽い拘束があったのですが、エルサレムがバビロン軍によって包囲されて、飢えが広がった中でも、彼にはパンが与えられたのです。

・エレミヤの釈放
 BC586年にバビロン軍によってエルサレムは陥落し、多くの人々は虐殺され、あるいは奴隷として捕囚にされました。しかしエレミヤは敵の将軍によって厚遇されています。彼は鎖から解かれ「国に残された民の中に住んだ」とあります。 

・他の信仰者たち
エレミヤ書にはエレミヤの他に書記バルク、宦官エベデ・メレクのことも記されています。彼らもエレミヤと共に、一時、迫害にあいます。それでも神は小さい者たちをも覚えてくださり、たいへんな困難の中でも、生命は救い出されております。
 すべて「わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです(ルカ9:24)あるとおりです。

2017/11/19  エレミヤ31:3134 新しい契約



・「その日」
 31章「新しい契約」の箇所はエレミヤ書の中心です。エレミヤ書全体はここを中心に構成されていると言えます。預言者たちは一様に、世の終わりを意味する「その日」について預言します。それはキリスト到来のときであり、預言者たちの預言が成就する「その時」です。

・新しい契約
 旧約時代の民は「古い契約」のもとにありました。十戒は石の板に記された文字でしたが、それは外から命令し、人の努力に訴える性質のものでした。結局、人の心は罪悪の塊ですが、その真実が明らかになる結果となりました。バビロン捕囚の出来事はその裁きでした。「新しい契約」は「古い契約」の後に与えられなければならないものでした。人の罪悪が顕わにされた後、神からの恵みとして与えられるものということです。人間の努力によるのではく、恵みの力に基づく契約ということです。

・「心に書きしるす」
 「新しい契約」の特徴は「律法を…彼らの心に…書きしるす」です。つまりは強制によるのではなく、人が自発的愛によって御心をなすようになるということです。
 キリストは十字架前夜に弟子たちと最後の晩餐を共にし、ブドウの杯をもって次のように告げました。「これは、わたしの契約の血です」と、そして十字架の業を成就しました。その十字架によって新しい契約の一切が成就したのです。

2017/11/12 子ども祝福式 創世記18:1~15,21:1~7,ローマ4:21~22



アブラハムへの約束
 アブラハムが85才のとき、神は夜空の星を見させて「あなたの子孫はこのようになる」と約束されました。

・3人の御使いと約束
 それから14年の年月が過ぎ、アブラハムは99才になっていました。ある暑い日のこと「彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立って 」いました。彼は高貴な旅人たちをもてなしたのですが、彼らはアブラハムに次のように神の約束を告げます。わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」

・サラの笑い
 サラはその言葉を聞いたときに、心の中で笑ってしまいました。お爺さんとお婆さんに子どもなどできるはずはないと思ったのです。しかしアブラハムは、神の約束を心から信じました。

・イサクの誕生
 それから1年が過ぎたときに、神の約束の通りにサラは子どもを産みました。名前はイサクとつけました。イサクとは「笑う」という意味で奇跡の記念としての名でした。神は人の考えを越えた奇跡をなす方なのです。

・ローマ4:21~22
(彼は)神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」

2017/11/05 エレミヤ31:1~8 荒野と恵み



・荒野と恵み
 エレミヤは未来の「その時」について預言をします。それは第一にバビロン捕囚の時についてです。「その時」彼らは苦難を味わうのですが、いわばその「荒野で恵み」得るとあります。神のお取り扱いは出エジプトの昔から同じです。神の民であっても苦難を体験することがあるのですが、そのただ中で神の恵みを発見するのです。

・「出て行って」
 「出て行って休みを得よ」とあります。「出て行く」とは、古い集団、肉的な集団から出て行くということで、結果的に捕囚の民は「出て行った」のです。その先は孤独と苦難がありましたが、そこで新しい神体験が始まることになりました。
 このことは新約の民である私たちの場合もまったく同じです。私たちもまた古いしがらみから「出て行って」神との出会い、霊的安息に入るように神は招いておられるのです。

・永遠の愛
 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」とあります。途切れることなく、妨げられることなく注がれる愛が、永遠の愛です。しかも神の熱心さと深さによる愛です。
 神は私たちをも愛しておられます。その愛に面と向かって出会うのは、私たちの場合も「出て行って」ということです。古いしがらみから「出て行こう」とするときに、不安が伴いますが、それを克服して、はじめて神が備えている新世界に入ることができるのです。