2022/4/24  ルカ福音書18:35~43  ある盲人の信仰

 ・ある盲人
 主イエスがエリコに近づいた時の出来事です。ある盲人が道ばたで物乞いをしていましたが、イエスが通りかかるという噂を耳にしました。彼は以前から、主イエスの業と説教について聞いていて、心の中に信仰が養われていました。
 そこで彼は大声で「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫びました。「ダビデの子」とは神の子キリストを意味します。その方が惨めな自分をもあわれんでくださるという信仰からの叫びでした。彼は先の役人とはことなり、「あわれみ」の意味をよく知っていました。

・「ますます…叫び」
 例によって、主イエスの周囲にいた弟子たちは、彼とその叫びを煩わしいものとしてたしなめましたが、その妨げにも関わらず、彼は「ますます…叫び立てた」とあります。「叫び立て」とは単に感情的ではなく、意志的信仰に基づく叫びで、彼の強い信仰の現れです。また妨げの中で、その信仰が強められたことの現れです。

・「あなたの信仰があなたを…」
 主イエスは彼を呼び寄せてから、改めて、彼のニーズを明確にしてから癒やしの言葉を語られます。さらに付け加えて「あなたの信仰があなたを直した」と語られます。癒やしの力と恵みは神によるのですが、それはいつの場合でも、心からの「あなたの信仰」がその管となり「あなたを直す」ことになるということです。「直した」とは、直訳は「救った」です。

2022/4/17 イースター礼拝 マルコ福音書16:1~8 墓石が動いて

 ・墓石が動いて
「安息日が終わったので」マグダラのマリヤたちは、イエスの体に香油を塗るために、墓に向かいました。いわば過去のイエスの追憶に向かったのです。彼女たちは、大きな墓石をどのようにして動かしたらよいのかと心配を抱えていましたが、しかし墓に着くと大きな墓石がすでに転がされていました。

・「あの方はよみがえられました」
 彼女たちは、墓に入ったところ、イエスの体はなく「真っ白な長い服をまとった青年が右側にすわっているのが見え」ました。その青年(御使い)は、空の墓の意味について次のように語ります。
「あの方はよみがえられました。ここには おられません。」
 空の墓について、色々な人々が様々な解釈をします。しかし、この言葉は神の言葉であり、神の解釈であり、どのような人間の解釈よりも真実です。

・ガリラヤへ
 さらに御使いは「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。…そこでお会いできます。」と告げます。ガリラヤは弟子たちの故郷で、イエスとの思い出の場所です。しかし御使いが示す「ガリラヤ」は新しいガリラヤであり、未来における復活のイエスと出会いを意味します。
 この後、み言葉に従って弟子たちと女性たちは、ガリラヤに向かい、そこで約束の通りに、復活のイエスに出会い、礼拝します。そこでも主イエスはみ言葉を告げて、弟子たちの心を未来に向けています。

2022/4/10 ルカ福音書18:31~34 「人の子」のミステリー

 ・エルサレムに向かって
「エルサレムに向かって…すべてのことが実現される…。」主イエスは、弟子たちをそばに呼んで、エルサレムで実現する「人の子」の出来事について伝えます。 エルサレムはダビデによって建てられた町でアブラハム契約、ダビデ契約による救いの実現する場所として預言者たちが一様に預言している場所です。

・「人の子」の受難と復活
「人の子は…引き渡され…殺します。」ここで「人の子」とあるのは、キリストのことです。しかし、主イエスは栄光のキリスト観と区別するために、あえて「人の子」という称号を用いています。人々の考えとは異なり、「人の子」は敗北者のようにして異邦人に引き渡されて、虐待されて殺されます。
「しかし、人の子は三日目によみがえり」とあります。人の子は砕かれ、死んだ後に、神の全能の力によって復活し、神のキリストであることが明らかにされるのです。

・「人の子」のミステリー
「弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。…このことばは隠され…」とあります。弟子たちは、世的キリスト像ばかり求め、体質的に俗悪であったからです。
 しかし彼らが「人の子」のミステリーが顕にされるときがやがて来ます。それは「人の子」が、預言どおりに十字架上で死んで復活した後です。さらに彼ら自身の世的キリスト像と肉的人生観が打ち砕かれたときです。そのときに、神は彼らの目の覆いを取って栄光のキリストを示されるのです。

2022/4/3 ルカ福音書18:28~30

・ペテロの言葉
「私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました」。主イエスが富める役人に語った言葉を聞いて、ペテロは、自分たちが家を捨てて主イエスに従っていることをアピールしています。彼らは赤貧の漁師たちだったので、それが比較的容易だったのです。後に富める者たち、高位の者たちも弟子集団に加わりますが、彼らの場合も「自分の家を捨てて」は弟子の条件としました。

・神の国の法則…捨てる
 ペテロの言葉に対して主イエスはさらに「捨てる」ことの大切さについて畳み掛けて語られます。
「神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者…」と財産と家だけではなく、身近な人間関係にもメスを入れています。実際に誰もが、家族などとの身近な人間関係を心の支えとし、生きがいとしています。しかし地上の一切の関係よりも神の国がより優れた価値として、優先されることが大切なのです。

・神の国の法則…受ける
「この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを…」。地上のものを「捨てる」ことによって、神の国の祝福がもたらされるという約束です。それは地上の祝福にも及び、かえって捨てたものの「幾倍かを受け」るのです。さらに後の世の永遠のいのちの獲得も約束されています。
 世に断捨離ということが言われますが、何よりも神の国中心に一切の断捨離をし、それでもってより多くの祝福を獲得いたしましょう。