2020/6/21 創世記5:21~24 父祖エノク 

・父祖エノク…神とともに歩んだ
 エノクは、アダムの堕落とノアの大洪水の物語の間に出てくる人物です。堕落以降、世は、罪が蔓延して傲慢と悪に満ちた時代となっていました。そうした時代、エノクは「神とともに歩み」ました。「神とともに」とは、目に見えない神を目に見えるようにして信じ、どのようなときにも神を信頼し、神の正義と聖さの中に歩んだということです。その生き方は、後の信仰者の原型となりました。

・永遠の生命の証
 エノクの地上での最後について次のように記されています。「神と共に歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」。このことを後の人は神がエノクを天に入れた、あるいは永遠の生命を与えたと解釈しています。実際に、エノクは「神とともに歩む」生涯の中で、最終的に復活信仰を獲得し、神がその信仰に報いてくださったのです。

・世における光
 私たちの時代もまた、神から離れて罪悪が蔓延する時代となっており、豊かさの絶頂にありながら、限界と死の現実を突きつけられています。このような時代に、エノクのように「神とともに歩む」父たちの人生は、後の世代の心に、一条の光として刻みつけられると信じるのです。

2020/6/14 ルカ福音書5:1~11 深みに漕ぎ出して

・深みに漕ぎ出して
 主イエスはペテロに対して「深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚をとりなさい」と語ります。ペテロは夜通し漁をしていたのに、魚が何一つ取れていませんでした。それで一時躊躇します。しかし主イエスの言葉だったので、ダメでもともとという気持ちで従いました。

・召命
 しかし結果は、経験したことがないような大量でした。そこでペテロは主イエスが神の人という認識を持ち、恐れます。その彼に対して主イエスは「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです」と召命の言葉を与えます。生涯に渡って、主イエスと福音に仕える弟子となる招きです。それに対してペテロも仲間たちも「何もかも捨てて、イエスに従った」とあります。

 ・私たちの「深みに」
 この物語は、過去の出来事を書き留めただけではなく、現代の教会に対する語りかけです。現代も、主イエスの弟子として、福音宣教を担う器が必要です。そこで主イエスは今も、個人個人に対して召命を与えます。またこれは個人だけではなく、教会に対する召命です。教会は、世という湖での漁に、しばしば挫折を経験します。その度ごと、主イエスは「深みに漕ぎ出して」とチャレンジを与えられるのです。

 

2020/6/7 ルカ福音書4:31~44 カペナウムでの宣教

・カペナウムでの説教
 カペナウムでの宣教において、主イエスの言葉の権威は遺憾なく現されました。会堂で汚れた悪霊に憑かれた人がいましたが、主イエスが「この人から出て行け」と命令すると、即座に悪霊は出ていきました。しかし「その人は別に何の害も受け」ませんでした。イエスとその言葉によって、神の国到来が明らかにされたのです。

・ペテロの姑の癒やし
 また会堂を出て、ペテロの家にはいった時、姑がひどい熱で苦しんでいました。この場合も、主イエスが「枕もとに来て、熱を叱りつけられると、熱はひき」ました。姑は、その応答として自発的につかえました。ここでも世の苦しみの只中に神の国が到来したことが明らかにされています。その他にも主イエスは病人ら「ひとりひとりに手を置いて、いやされた」とあります。
 

・福音宣教と神の国
 主イエスはその地方に引き止めておこうとした人々に対して次のように語っています。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。」
 主イエスはやがて天にあげられますが、福音宣教は今も、同じように継続しています。そして福音とともに主イエスも臨在し、人々のもとに神の国とその祝福をもたらします。