2018/5/27 使徒の働き9::10~22 選びの器と助け手


・アナニヤ
 主イエスはサウロを改心に導くと同時に、彼がしっかりと立つために、他のキリスト者を用います。アナニヤはダマスコ在住の信者で、みなに尊敬されている人物でした。主イエスは、幻の中で彼に語りかけて、サウロのところに行くように命令します。

・選びの器と助け手
 はじめアナニヤはサウロが迫害者であることを理由に躊躇します。しかし主イエスは「あの人は…わたしの選びの器」と語り、強いて向かわせます。神が選んだ器でも、他のキリスト者の助けによって、はじめて神の器になるということです。そしてアナニヤがサウロのもとに行って頭に手をおいて祈ると、「ただちにサウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになり」彼は元気づきました。
  
・その後のサウロ
 サウロはアナニヤを通してダマスコの教会の交わりにも入り、「ただちに…イエスは神の子である」と宣べ伝え始めました。その後、エルサレムに行って「弟子たちの仲間にはいろうと試み」たのですが「みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていました」。この時にも助け手が現れます。バルナバは使徒たちのところに彼を引き連れていき、まじわりを築いたのです。そこでサウロはエルサレムでも、自由に大胆に福音を語ることができたのです。
 いつの時代でもどのような「選びの器」でも助け手が必要なのです。

2018/5/20 使徒9:1~9 サウロの改心


・迫害者サウロ
 まさしくサウロは迫害者でした。「脅かしと殺害の意に燃えて」キリスト者たちを捕らえ、遠くダマスコの町のキリスト者たちを捕らえるために、大祭司の許可証をもって向かいました。

・天からの光と改心
 「ところが…突然、天からの光が彼を巡り照らし」とあります。天の栄光とともに、主イエスが、直接にサウロに臨んだのです。一方的なあわれみによる顕現でした。
「…なぜわたしを迫害するのか」。キリスト者を迫害することが、即、イエスを迫害することとしています。神のためにと思ってなした迫害は、神と主イエスに対する反逆でした。 サウロは、自分の罪に気がつき、改心せざるを得ませんでした。

・悔い改め
 天の光により、サウロは地に倒れ、さらに盲目になりました。彼が使徒として立ち上がるためには、なお神様のお取り扱いが必要だったのです。盲目の中で、深い悔い改めの時が過ぎ、やがて力づけられて神の器として活躍することになるのです。

2018/5/13 Ⅰコリント13:4~13 母の愛 母の手


・母の愛、母の手
 聖書に「愛は寛容であり、愛は親切」とあります。 寛容とは受動的愛であり、親切とは能動的愛です。生まれながらの赤ちゃんはかわいいのですが、粗暴です。その子は、母の育み、つまり寛容と親切によって人間として成長します。その具体的手段はお母さんの手です。

・道しるべ
 また母の愛は、子どもを神の愛に向かわせる道しるべになります。青年時代に、私は真理を捜し求めました。その時に、真理には愛が付随するという風に考えました。それは母の愛が疑い得ないもので、善なるものと考えたからです。そこから向かったのはキリストの愛です。母の愛はやがてその生命とともに尽きるものですが、キリストの愛は永遠です。その愛に出会ったときに、神の手のひらの上に置かれたような平安を感じました。

・祈りの手
 最期に、母の愛/母の手は、祈りとして用いられます。母の愛にも力にも限界があるので、神の愛に子どもを委ねることが大切です。母の手は、祝福された手ですから。神がその祈りを拒むわけはないのです。

2018/5/6 使徒の働き8:26~40 ガザに下る道で


・ガザに下る道で
 ピリポは御使いの指図にしたがって「ガザに下る道に」向かいます。するとそこにエチオピヤ人の宦官が、エルサレム巡礼から帰国する途上にありました。彼は馬車の上でイザヤ書53章を読んでいました。そこにはキリスト預言があり、またキリストによって外国人も不具者も「主の集会に加えられて」救われる約束がしるされていました。

・導く人がなければ
 ピリポは彼に近寄って「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と問うと導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と答えました。そこでピリポは馬車に乗り、宦官にイザヤ書53章に記されている苦難のしもべは、誰であり、彼は何をしたのかについて 「宣べ伝え」ました。「宣べ伝える」とは使徒的解釈によってイエスこそキリストであると語ることです。それによって、封印された謎であった一切が明瞭にされ、罪人も外国人もハンディがある者も、すべてが救いに入るのです。

・救いとバプテスマ
 宦官はピリポの証を信じて、通りがかりの水場でバプテスマを受けました。バプテスマは明確な信仰告白であり、救いと神の国に入る門です。
 神はご自身で求道する者たちを起こしておられます。同時に神は私たちをその求道者のもとに導こうとしておられます。私たちはその出会いの中で、ハッキリとイエスこそキリストと宣教するのです。

2018/4/29 使徒の働き8:1~25 サマリヤの教会


・迫害と宣教
 ステパノの殉教を契機に、ユダヤ教徒たちはキリスト教会を激しく迫害します。とくにヘレニストキリスト者に対する攻撃が激しかったようです。
 それで信者たちはエルサレムから離散することになったのですが、かえって主イエスの宣教命令が進展することになりました。「エルサレム、ユダヤをとサマリヤの全土」に福音を証しするという命令と約束です。神の御心は、チャンスの時もピンチのときも、いつも進展するのです。

・ピリポによるサマリヤ宣教
 特に七人の一人ピリポの活動はめざましいものがありました。彼はサマリヤ方面に下っていき、通りすがりの町々で福音宣教をなしました。サマリヤ人は律法を中心とした彼ら独自の宗教を持ち、彼らなりのメシヤ待望もあったため、大勢が信仰に導かれます。

・サマリヤの教会
 この出来事を聞いて、使徒ペテロとヨハネが派遣されます。彼らが手を置いて祈ったときに、サマリヤの信者の上にも聖霊がくだりました。サマリヤ教会の成立です。
 しかし中には、なお魔術的世界の根が残っているシモンのような人物も存在しました。彼は魔術のように、人間の恣意や金銭で聖霊の能力を買うことができると考えたのです。使徒たちは厳しく彼を戒め、また徹底した悔い改めを求めました。