2014/10/19 ヨハネ福音書10:22~30 不滅の民



・時は冬
 「冬」という言葉は、主イエスと弟子たちがおかれていた状況を暗示します。初めは多くの者たちが信じましたが、同時に反対者の迫害が激しくなっていたのです。「それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで」とありますが、敵対者たちは、主イエスに隙があればいつでも捕縛しようとしていました。

・不信者の中で
 このことは私たちの場合も同様です。世の中には、主イエスの言葉に決して聞き従うことがなく、かえって強い反発や憎しみを抱く人々も大勢いるのです。その人々は、イエスの民にも敵対感を抱き、彼らを迫害します。「あなたがたは世にあっては患難があります」とのみ言葉の通りです。

・不滅の民
 しかしながら、主イエスの民は決して滅びないとの約束が与えられています。また「だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません」とあります。これは父についても同じです。「わたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません」と二重の守りの中におかれていることが証しされています。
 わたし自身も、この言葉を信じて信仰生活を送ってきましたが、アーメンと証することができます。これからも、「滅びない」「奪い去ることがない」との約束を信じて生きようと決意しています。


2014/10/12 ヨハネ福音書10:17~18 生命を得るため



・キリストの業と神の愛
 キリストが「自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てる」こととは、十字架と復活のことを意味します。父の神は、その業ゆえにキリストをより愛し、またキリストが築いた救いに導かれた人々を同じように愛されます。

・キリストの権威
 「それを捨てる権威」とありまが、キリストは決して悪魔や世の権力者に屈して十字架に架けられたのではありません。それはキリストの絶対的意志であり、それによって民との連帯を持ち、罪を贖い、死と悪魔の力を砕いたのです。
それをもう一度得る権威」 とあります。つまり十字架の後、ハデスの門を砕き、ご自分の権威で再び生命を獲得して復活したことを意味します。これによって、キリストはご自分の生命の道を、民のために盤石なものとしました。

・生命を得るため
 私たちは、地上の生活において、罪と死の支配に喘いでいますが、キリストが備えて下さった救いの中に入ることにより救われます。そこは神の満ちあふれる愛があり、キリストの恵みの権威で守られた世界です。そこには罪の支配も死の恐怖も及ぶことがありせん。私たちは心から、キリストを信じて、彼の救いに入るべきです。

2014/10/5 ヨハネ福音書10:16 1つの群れ



・この囲いに属さないほかの羊をも
 この囲いに属さないほかの羊」とは、当時の弟子以外の者たちのことを意味します。やがて福音は異邦人世界に伝えられ、多くの改心者たちが起こるのです。その宣教の担い手は使徒たちと宣教者たちでしたが、背後で導くのは主イエスご自身でした。現代でも、導く方は主イエス・キリストです。

・わたしの声に聞き従い
 主イエスが人々を導く手段は、恐怖による強制ではなく、み声を通してです。選ばれた人々は、その声に信頼し自発的に「聞き従い」ます。現代において「み声」とは、聖書の言葉です。私たちは聖書からの説教を聞き、あるいは自分で読むのですが、背後で主イエスが個人個人に語りかけているのです。その言葉に「聞き従う」ということです。

・1つの群れ ひとりの牧者
 「1つの群れ」とは乱雑な集団ではなく、良く牧された群れのことです。1つの志を持って有機的な交わりを持ち、1つの思いで行動し、1つの方向に養われ成長し、1つの生命となって生み出す群れと言うことです。
 この1つの群れは、ひとりの良い牧者によってのみ、成立します。主イエスは民のためにいのちを捨てて愛を示し、また罪と死に打ち勝つ力と権威を持つ方です。この方によってのみ、「1つの群れ」は造り上げ荒れます。
 教会は現代における「一つの群れ」です。互いにみ言葉に聞き従って、交わりを形成するときに、それは実現し、そこに、主イエスの栄光が現れます。

2014/9/28召天者記念礼拝 ヘブル11:13~16 天に憧れる



・聖徒たちの信仰
 聖書に出てくる聖徒たちの信仰は、単に地上の平安を神に求めるだけではありませんでした。むしろ天の故郷を求めるものでした。「はるかにそれを見て喜び迎え」とあ瑠通りです。彼らは神の約束を心に刻み、未来の時を先取りして喜んで地上の毎日を過ごしたのです。

・天に憧れる
 神が信仰者たちに約束している天の故郷について「さらにすぐれた故郷」と表現されています。地上の故郷と比較して、さらにすぐれた故郷ということです。
 私たちには未知のものを想像できません。それで、聖書では、今のものよりも「さらにすぐれた」という形で、天の祝福を表現するのです。私たちは地上の故郷のよさを知っていますが、「さらにすぐれた故郷」という信仰によって、天の故郷に憧れるのです。

・召天者たちの信仰
 すでに私たちの教会では16人の召天者があります。それぞれの地上の生涯を終えて、今は天に招き入れられられました。その信仰の足跡は、私たちのみちしるべとなり、わちもまた、その信仰にならって、天に憧れて、地上の生涯を歩み抜きましょう。