2021/5/23 ルカ福音書11:29~32 ヨナよりも まさった者

 ・しるしと悪い時代
 「この時代は悪い時代」とあります。当時のユダヤ人たちは、自分たちが一番正しいと自負していたのですが、神の目には「悪」と写っていたのです。その理由は「しるしを求めている」でした。それは真摯な求道心などではなく、はじめから懐疑的で自分の心と生活を決して変えようとしない不信仰と俗悪性です。

・「ヨナのしるし」と福音
 「ヨナのしるし」とは、預言者ヨナが大きな魚の腹に三日三晩いたという奇跡です。ちょうどそのように「人の子が…しるしとなる」とは、イエスが死んだ後、三日後に復活することを指しています。それがイエスが神の子キリストであることの決定的しるしとなることを示しています。このことはイエスの復活後に実現し、福音という形で宣教されていきます。そして福音を受け入れるか否かの応答如何で人は救いと裁きに分けられます。

・ヨナよりもまさった者
「ここにソロモンよりもまさった者…ヨナよりもまさった者がいる」とあります。イエスが旧約のいかなる知恵者、預言者よりも優れた方であり、まさに神の子キリストであることを示しています。
 私たちはイエスの時代から二千年後の世界に生きておりますが、この時代にも、何よりも優れたキリストの福音が宣教されています。その厳かさを覚えて、旧約の人々以上に「恐れおののいて自分の救いを達成」(ピリピ2:12)すべきです。

2021/5/16 ルカ福音書11:14~20 神の指と神の国

 ・悪霊を追い出す
 主イエスがおしの悪霊を追い出して群衆が驚いていた時、ある者は「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言いました。彼らはイエスの福音も御業も受け入れず、頭から悪としていました。自分の心が悪い者たちは、いつも自己中心の判断をします。

・神の指と神の国
 そこで主イエスは彼らの論理の矛盾を指摘し、次に「わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです」と語ります。「神の指」という言葉は、出エジプトの十の災いの時に用いられている言葉で、神が直接に奇跡をなしていることを示します。他の箇所では「聖霊」とされています。つまり主イエスの福音と共に御業が起こり、それは「終わりの日」に到来する神の国の現れであると宣言しているのです。

・ 神の指と教会
 現代の教会でも確かに神の指が現れています。それは福音とともに目に見える現れというよりも、一人一人の心のなかと生活に現れます。
 「…神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」Ⅰテサロニケ2:13とあります。私たちが礼拝において真摯にみ言葉を受け入れる時に、教会は神の指が現れ、豊かに働く場となります。

2021/5/9 Ⅰ列王記17:8~24 母の信仰と祈り 

 ・ツァレファテの母の信仰
 ツァレファテの寡婦は、飢饉のときにエリヤの神、主を信じて自分と息子の生命を救うことになりました。彼女がエリヤの命令に従って、主なる神を第1としたからでした。その結果、「かめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」という地上の生命についての恵みと賜物を獲得したのでした。

・母の訴えと息子の復活
 それからまもなく彼女の息子は重病となり、死んでしまいます。そのときには、彼女は息子の死を諦めきれず、エリヤのもとに行って悲しみと怒りをぶちまけて、その不条理を訴えます。その訴えに動かされてエリヤは神に祈り、結局、彼女の息子を復活させます。その復活は新約の復活の生命の雛形です。

・ 母の信仰と祈り
 母親は神によって、子供の生命を委ねられています。その役割は、地上の生命を産み出して保つことと同時に、息子にも天上の生命が授けられるように祈ることです。
 教父アウグスティヌスは「告白」の中で、母モニカについて次のように記しています。「(母は私を)肉体においては、時の中に、心においては、永遠の光の中に、産み出した」と。まさしく、母に対する最高の賛辞、感謝の言葉だと思います。

2021/5/2 ルカ福音書11:5~13 求める者は 受ける

 ・真夜中の嘆願者
 主イエスは祈り続ける必要について教えるために真夜中の嘆願者のたとえ話をします。どうしてもすぐにパンが必要であったために、真夜中にある人が友人の家に嘆願に行ったのです。友人も子どもたちも寝ていたので、はじめは断っていても「あくまで頼み続けるなら…必要な物を与える」と。

・求める者は受ける
 以上のことを祈りの極意として、主イエスは続けて語ります。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」誰であっても「求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれ」るのです。神に祈るものはひたすら求めることが求められており、そのうめくような祈りのなかで「受け…見つけだす」のです。

・聖霊を求める
 最後に主イエスは聖霊を求めることの大切さを示します。聖霊は、神の子たちの生命であり、力です。地上では世の権威権力の脅威があり、絶えず悪と汚れた霊が教会に忍び込もうとしています。 神の子たちと教会は、絶えず聖霊を求め、聖霊に満たされて、初めて世の光として輝きを保ち、地の塩として機能することができるのです。