2019/12/22 ルカ2:1~20 飼葉おけの御子


・もう一人の王
 イエス・キリストはローマ皇帝アウグストの時代に誕生しました。しかも支配者の子として宮殿で生まれたのではなく、貧しい被支配者の子として誕生しました。
 皇帝から住民登録の勅令が出ました。それに従い、ヨセフとマリヤはナザレから先祖の地ベツレヘムに登録のために行ったのですが、その不安な旅先でイエスは誕生しました。

・飼葉おけの御子
「布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったから」と誕生の様子が記されています。地上において「場所のない者」として誕生し、しかも「飼葉おけに寝かれた」とあります。つまり同じように「地上に場所のない」者たちに仕えるために誕生したということです。

・羊飼いたちに
 キリスト誕生の知らせを最初に受けたのは、野にいた羊飼いたちでした。彼らも地上に場所のない人々でした。天使が彼らに現れて「あなたがたのために救い主」キリストが誕生したこと、そのしるしは「…飼葉おけに寝ておられるみどりご」でした。
 今日も、キリスト誕生の知らせは場所のない者たちに伝えられます。私たちもまた、地上では安楽の場所がないものであることを覚えた時に、私たちのために誕生したキリストを見出すことができるのです。 

2019/12/15 ルカ福音書1:67~80 ザカリヤの賛歌

・ザカリヤの賛歌…救いの角
 ザカリヤはバプテスマのヨハネ誕生とともに口が開かれ、神を賛美します。彼の賛歌はベネディクトゥスとして知られています。彼の賛美の中心は神が「救いの角」を与えてくださったということにつきます。角とは雄牛の角で、力の象徴ですが、旧約聖書では、それはキリストのことを意味しました。

・敵からの救い
 「敵からの…救い」とあります。敵とは第1に、周辺の異民族のことを意味します。ユダヤ人は彼らによって支配され、抑圧されていました。第2には罪と死のことを意味します。アダム以来、人は、その暗闇の圧政の下に置かれています。しかし、救いの角の到来により、一切の敵は粉砕されるので、汚れから免れて、あるいは清められて、喜びと自由な心で仕えることができるようになったのです。ザカリヤは祭司でしたから、そのことに感謝しています。彼はまた、息子の奉仕も含めて感謝しています。

・神のあわれみにより
 最後に「これはわれらの神の深いあわれみによる」とたたえています。自分たちの努力や性質の良さなど空しいものです。ただ神のあわれみを注がれることで、一切の救いが実現します。
 私たちも救いの角であるキリストが与えられ、奉仕が許されています。ただ神に感謝です。


2019/12/8 ルカ1:39~55 マリヤの賛歌


・マリヤの賛歌
 「わが魂は主をあがめ、わが霊は…神を喜びたたえます」。マリヤは、心の奥底から湧き上がるような賛美をしています。感情や一時的な喜びは、すぐに失われてしまいます。しかし魂と霊による賛美は、人間を奥深くから揺り動かし、変えていきます。これこそ私たちに必要な賛美であり、歌です。

・主は「私に」目を留めて
 マリヤの賛美の源泉は「主は…卑しいはしために目を留めてくださった」「力ある方が私に大きなことをしてくださった」ということです。実際にマリヤは地方の町の貧しい家の娘で、人々に仕えるはしためとして生きていました。また神の前において人間がいかに小さく罪深い存在であるかもしらされていました。その自分が、神様によって顧みられて、救いに入れられたこと、さらには新しい人として造り変えられたことを覚えているのです。

・主を恐れかしこむ者に
 マリヤの賛歌はただ、マリヤだけにとどまるものではありません。「そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々に渡っておよぶ」と証ししています。
 私たちも「主を恐れる者」として、マリヤと同じ顧みと救いを受けています。この霊的真実を覚えて、今年のクリスマスにおいて、マリヤと共に魂と霊による賛美をささげましょう。

2019/12/1 ルカ1:24~38 マリヤへの御告げ


・マリヤへのみ告げ
 六ヶ月目にみ使いガブリエルはナザレのマリヤのもとにおとずれます。あいさつの後、彼はマリヤに男の子の誕生のみ告げをします。彼の名はイエスで「いと高き方の子(神の子)」「ダビデの王位」を持つ者となると預言します。「男の子」の誕生は旧約聖書で一貫して約束されてきたことで、アダムの堕落による罪と死の支配からの救い主のことです。

・神にとって不可能はない
 マリヤはみ告げに驚きながらも、なぜ処女の状態で神の子を生むのかと問いかけます。それは信仰を深めるための問でした。み使いは「聖霊があなたの上に臨み」「いと高き方の力があなたをおおい」と語り、最後に「神にとって不可能なことは1つもありません」 と語ります。 それは聖書の神の全知全能を示した答えでした。

・マリヤの信仰
 マリヤは言いますどうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」。処女である自分が「男の子」を身ごもること、しかも「神の子」を宿すことを信じる信仰は、きわめて優れた信仰です。この信仰によってマリヤは新約の民の信仰の先駆けまた見本となりました。
 私たちはマリヤのように胎にキリストを宿すことはありませんが、マリヤにならった信仰により心にキリストを宿すのです。

2019/11/24 ルカ福音書1:1~23 祭司ザカリヤ

・祭司ザカリヤ
 ユダヤのヘロデ王の時代のことです。その時代は敬虔なユダヤ人にとっては、暗闇のような時代でした。その時、ザカリヤという老祭司がいました。彼の妻は不妊で子はありませんでした。彼は、くじを引いて神殿で香を焚くという名誉な役目を得ました。

・主の使いと御告げ
 彼が香をささげていたときにみ使いガブリエルが傍らにたちます。ガブリエルは旧約聖書ではダニエルに現れた御使いです。それ以来、500年の時を越えて、現れています。ザカリヤは「不安を覚え、恐怖に襲われました」、地上の人間が異次元の御使いに出会った時の反応です。その不安と恐怖の中で、神による新しい救済が始動するのです。

・不信仰
 ガブリエルは彼に対して彼自身の男の子の誕生を告げ、名をヨハネにするように命じます。ところが、彼は人間的な思いにとらわれて、素直に信じることができませんでした。
 それで御使いは、彼を口がきけないようにしました。それは不信仰に対する小さな罰です。しかし神のご計画は進展し、時至って彼の妻に子どもが誕生することになりました。

 神の救いのご計画は、何があっても進展していきますが、そのときに私たちは不信仰でそれを妨げるのではなく、素直な信仰で受け入れ、私たち自身が救いの喜びの中に真っ先に進んでいくべきです。


2019/11/17 ヨナ書1~4章 ヨナの物語


・大きな魚の腹の中で
 神様はヨナに、敵ニネベの町にみ言葉を伝えるように命じます。しかしヨナは主の御顔を避けて」海の果てに逃げようとしました。
 「そのとき、主が大風を海にひきつけたので」大嵐になりました。船乗りたちは、それがヨナのせいだと知り海に放ります。
 「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた」ので、ヨナは魚の腹の中に三日三晩閉じ込められ、その苦しみの中、悔い改めます。

・ニネベでの宣教
 そこで「主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた」ので、彼はニネベに行って、神様の言葉を告げました。ニネベの人々は王をはじめ全ての人々が悔い改めたので、神様は町に裁きをくだされませんでした。

・トウゴマ
 その結果にヨナは不満でした。そこで丘の上にとどまり、「もしかして」と期待して見守っていました。神様はヨナのためにトウゴマを生えさせ、日よけにしてくださいましたが、同時に試練を与えます。「神は…一匹の虫を備え」トウゴマをかんで枯れさせたのです。それでヨナは怒りました。そのようなヨナに対して、神様は次のように語られました。
「あなたは…トウゴマを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。」

2019/11/3 コロサイ1:9~12 神を知る知識

・みこころについての知識
 コロサイ教会の人々は救いの中に置かれていましたが、異教世界にあったため「神のみこころについての知識」がありませんでした。神の救いとその目的についての知識ということです。「知識」とは部分的ではなく、救いの全体像ということです。
 「霊的な知恵と理解力によって」とは、人間の理性だけによらず、御霊の導きの中で知り、理解するということです。

・神を知る知識
 「みこころを知り」それに従うときに、信仰生活に様々な実が生じます。「神を知る知識」は、実際的信仰生活の中で増し加わります。ここでも「知識」とは、一部分的なものではなく、全体的であり、全人格による出会いと交わりを意味します。それにより、神が私たちの父であり、私たちを愛してやまない方であることを知ることになります。その知識は生涯に渡って深まっていくべきなのです。

・父の神に感謝する
 さらに神は私たちのために御国を待ち望む「忍耐と寛容」を与え、「天の相続」への希望を確かなものとしてくださいます。そのようにして私たちは、心から「父なる神に喜びをもって感謝」するようになるのです。それは天においても大きな喜びとなります。(ルカ15章)


2019/10/24 コロサイ1:5~8 聞き 理解すること


・福音の真理のことば
 パウロはキリスト教の救いは「福音の真理のことば」によることを明示します。「ことば」は、閉ざされたものではなく、公にされ、だれにでも、どの時代にも、同じように伝達できるものです。その点、あらゆる時代の諸宗教と異なります。そこでは神秘体験、呪文、儀式などを重んじられているからです。

・聞き理解すること
 福音を自分のもとするために大切な態度は「聞き」とあります。福音はことばですからそれを自分の内に獲得するためには「聞く」姿勢が大切になります。「聞く」姿勢によって、その受容度は格段の差が付きます。「信仰は聞くことから」ローマ10:17,「聞く耳と、見る目とは、二つとも主が作られたもの」箴言20:12とある通りです。
 さらに「…ほんとうに理解」とあります。ことばですから、意味が込められています。それを理解するときに、「ことば」は心に刻まれ、その人のうちに救いと新しい生命を与えます

・実を結び広がり
 「勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けて」とはコロサイをはじめとした、当時の教会のあり様です。私たちの時代には福音のことばは近くにあるのですが、忙しく多くの情報にあふれ「聞き…ほんとうに理解」ということが少ない時代です。この悪魔の罠を断ち切ったときに、私たちの内にも福音が実を結び勢いを持つと信じます。