2010/10/10 ローマ3:1~8 神は真実、義

・様々な人間的詭弁
 ユダヤ人の問題から初め、パウロは色々な人間的詭弁(きべん)について取り扱っています。詭弁とはまさしく危険な理屈であり、神と神の救いの世界をねじ曲げ、私たち自身を暗黒の世界に落としかねないのです。
 私たちの信仰が落ち込んでいるときに、私たちは何らかの詭弁の虜になっている場合が多いのです。

・神観の基本・・・神は真実
 ある者たちは、ユダヤ人のうちに不信仰があるから、彼らに御言葉を委ねた神も不真実であると断じます。人間の思いは、色々な詭弁を生み出します。
 それに対してパウロは、くどくどと説明することなく「神は真実な方であるとすべきです」と断言します。これは物事の考え方の大前提で、一切の考えはここから始めるべきなのです。

・神観の基本・・・神は義(善)
 「怒りを下す神は不正ではないか」という人間的詭弁も取り上げています。神についての心の内から出てくる人間的論理はいつも、神に対する反逆が含まれています。
 「絶対にそんなことはありません」と答えます。「神が義である」ということも、神学の大前提です。この前提で物事を考えるときに、整理され、私たちも幸いに入れられるのです。それは座標軸と同じでX軸とY軸を真っ直ぐに据えることで正しい図が描かれるのです。神についての基本が正しく心に設定されることで幸いなる人生観を描くことができると言うことです。

・詭弁は悪と滅びに到る
 神についての曲がった考えは、やがて自分の悪を正当化するに到ります。このような者は「当然罪に定められるのです」。
 私たちは、自分の口を閉じ、ただ絶対的神の真実、義、善を心から受け入れるべきです。その恐れと服従により、私たちも神の義と善に入れられるのです。

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