2023/4/9 ルカ福音書24:13~35 エマオへの途上

 ・エマオへの途上
 安息日の翌朝、ふたりの弟子がエルサレムからエマオという村に行く途中のことでした。彼らは失望しながらも「いっさいの出来事について話し合って」いました。そこに復活のイエスが近づいたのですが、彼らの目は「さえぎられていて」イエスと認めることができませんでした。復活のイエスは、不信仰の者には決して見ることができないからです。

・聖書からの説き明かし
 主イエスは彼らの不信仰を叱責した後「聖書全体」から「キリストは…苦しみを受けて彼の栄光にはいる」ことを「説き明か」しました。「説き明かす」ことによってのみ、神の不思議とキリストの救いが顕にされるのです。
 彼らは、旅路の「説き明かし」を通して復活信仰を持つようになっていました。それで故郷の村についたときに「無理に願って」イエスを家に招き入れました。

・心はうちに燃えて
「パンを取って祝福し…彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」とあります。信仰による愛餐の交わり(聖餐)の中で、復活のイエスの臨在が明らかにされたのです。それと同時にイエスは見えなくなりましたが、かえって彼らは、イエスの御霊の臨在を確信しています。
「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」とあります。私たちの場合も、このことは全く同じです。教会における、十字架と復活のイエスを中心とする聖書の説き明かしと聖餐の交わりの中に、イエスの御霊が臨在して私たちの心を燃やすのです。

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