2023/2/26 1コリント6:12~20 神の栄光を現す

 ・からだは主のため
 キリスト者は救われて自由とされています。しかし自由の意味についてよく理解する必要があり、自由であるからといってからだを罪に汚してはなりません。「からだは不品行のためにあるのではなく、主のため」だからです。
 また「その御力によって私たちをもよみがえらせて」とあるとおり、救いと復活の力は、私たちの心だけではなく、からだにも及んでいるからです。  

・肉の結合と霊の結合
「キリストのからだの一部」と信仰者の霊とからだがキリストとの霊的結合の中にあることが示されています。キリストから切り離して遊女のからだと「交わる」時、肉の結合となり罪の奴隷状態となります。
「主と交われば、一つ霊」とありますが、信仰にとどまるとき、心もからだも御霊の原理の中におかれることを示しています。

・神の栄光を現わす
 「宮」とは聖所至聖所がある建物のことで、旧約時代は、そこに神の霊が宿るとされてきました。しかし今の時代、キリストの贖いによって「あなたがたのからだは…聖霊の宮」です。
 そこで求められていることは「自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」です。私たちの場合も、不品行の時代に生きていますが、私たちのからだと人生を通して「神の栄光」を現わす者として招かれているのです。

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