2015/3/1 詩篇131篇 依存と信頼



・依存ではなく
 詩篇131篇では試練を通して真の神信仰に到達した信仰者の告白が記されております。彼は苦難の中で、色々と苦しんでいました。それは目先の現象にとらわれ、自分の考えに固執したからでした。それは順境では心高ぶらせ、逆境では極度の落ち込みと絶望感にさいなまれるのです。アダム以来、自我に固執し、目に見えるものに依存する人間の有様です。彼はその誤りを認識し「心は誇らず、目は高ぶらず」と告白します。

・信頼…乳離れした子のように
 彼は良い信仰を「乳離れした子」の姿に見いだします。それは即物的に母親に依存するのではなく、少し離れていても泣きわめいたりすることがない母を信頼する姿です。つまり、目先の状況や現象を見たときに「神はいない」「神は見捨てた」ような苦難があったとしても、「常に神は共におる」、「決して見捨てない」という約束のみ言葉に基づいて信頼する信仰姿勢です。

・信仰の基本姿勢
 私たちは21世紀の人間理性信仰の時代に生きております。こうした中、信仰を持っていても、目先の出来事と現象を見、自分の頭だけで考えて、神の存在と愛を測っている場合が多々あります。そこから生じるのは誇り高ぶりと落ち込みの連鎖です。現代でも信仰者の基本姿勢は、み言葉に信頼して時が良くとも悪くとも神の臨在と愛とを信じ、救いを待ち望むことです。