2020/7/19 ルカ福音書5:33~35 花婿と友だちたちのたとえ

・パリサイ人とヨハネの弟子たちの批判
 パリサイ人とヨハネの弟子たちはイエスの弟子たちが断食をしないで、宴会を楽しんでいる様子を見て非難します。彼の場合も、ユダヤ社会も敬虔な生活のために断食と祈りは不可欠なものだったからです。

・花婿と友人
 それに対して、主イエスはまず花婿と友人たちのたとえで答えます。当時「花婿に付き添う友人たち」は、請願などをして断食をすることになっていたとしても、その禁欲よりも、花婿の祝福に伴う喜びが優先されました。ちょうどそのように、花婿キリストにともなう従者たちは、一切の禁欲から解放されて、喜び祝うことが優先されるということです。

・内なるキリスト
 花婿キリストの臨在は、キリスト昇天後に注がれた御霊の内住によって実現しました。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」とガラテヤ2:20とあるとおりです。

・喜びの優先
 これらのたとえが示すことは、私たちはかつて血肉の生命の中に生きていましたが、そのときには禁欲などで罪の性質を抑えることが必要でした。しかし、心からキリストを第一の友として信じることで、御霊の生命を受けているということです。この新しい生命のもとでは、心の中からの自発的と喜び、そして愛の動機が大切になるということです。

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