2017/12/28 詩篇146編 主をほめたたえて



・主をほめたたえよ
 「ハレルヤ」の「ハレル」とは「ほめたたえる」「ヤ」は「ヤーウェ/主」を短縮したことばです。さらに「主をほめたたえよ」と、同じ命令がくり返されています。それは強い呼びかけと言うことです。「私のたましい」とは「私の中心」です。また「わたしは生きているかぎり、主をほめたたえよう」と、人生のすべてで主なる神をほめたたえ、賛美する決意を表しています。

・人間に頼ってはならない
 「君主たち」とは力と能力ある者たち、さらに私たちの場合は国家ということになります。それは万能で「ゆりかごから墓場まで」私たちの福祉を支えてくれるという錯覚がありますが、人間が作った者であるかぎり脆いのです。また家族や友人でも人間であるかぎり依存しきることはできません。そこから失望、恨み、つぶやき、ねたみの悪も起こってくるのです。

・主をほめたたえて
 さらに詩人は、「主に望みを置く」幸いについて語っています。主なる神だけが、私たち小さい者に目を留めて、恵み、支え、救ってくださるからです。
 世の中では、大晦日に大掃除をし、また除夜の鐘を聞きながら煩悩を取り去るということを言います。しかし私たち神の民は、主なる神以外の誇りや執着を除き去り、ただ主のみを賛美することで心を満たすべきです。初めも「主をほめたたえよ」と始まり、終わりも「主をほめたたえよ」でというのが神の民の生のスタイルです。