2012/4/1 マタイ27:33~50  なだめの十字架

・なだめの十字架
 主イエスは神の子であり罪のない方であるのに、ゴルゴダの丘で十字架に付けられました。十字架は身分が低い極悪人のための死刑執行の道具です。  主イエスの十字架は、私たちの罪の身代わり、また贖いのためでした。贖いはなだめによって実現します。なだめとは、神の怒りと処罰としての苦しみを一身に受けると言うことです。

 ・「捨てられる」苦しみ
  主イエスは十字架上で様々な苦しみを受けます。鞭打たれはりつけ磔にされるという肉体的な苦しみもさることながら、その苦しみの本質は「捨てられる」という苦しみでした。  まずユダに裏切られ、弟子たちに見捨てられました。ご自分の民であるユダヤ人には「十字架につけろ」との憎しみに満ちた叫びの中、捨てられました。  極めつけは、父の神によって捨てられたことです。「エリ エリ レマサバクタニ」とは「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」との意味です。これは詩篇22:1の預言の成就と言うことだけではなく、主イエスご自身の悲痛な叫びでした。

 ・怒りは去り、愛が注がれる
  主イエスの十字架のなだめによる贖いは、私たちの罪を完全に取り除き、神の怒りから解放します。私たちには色々な負い目や痛みがありますが、十字架を仰ぐときに、怒りは去り、神の愛が来て、私たちをおおうのです。