2012/1/08 ローマ12:1 私たちの霊的礼拝

・神の愛が先行する
 「そういうわけですから」とあります。それはこれまでパウロが論じてきたことを受けています。つまり神が私たちを愛して、御子キリストを与えて下さったということです。つまり、神が先に私たちのために一切を与えて、私たちを受け入れて下さっているということです。このことが、私たちの礼拝の前提となります。

・私たちも心とからだを捧げる
 次に、神は私たちの側で応答することを願っています。つまり自分の心とからだを生きた供え物として捧げるという礼拝行為です。そもそも神が私たちを救って下さったのは、そのためだったのです。  私たちは受動的な存在であるだけではなく、能動的で機能を持つ者として存在しています。それらはただ神のために用いるということで、永遠の充足感と幸福感を持つことができます。つまり生き甲斐を見いだすということです。

・私たちの霊的礼拝
 「霊的礼拝」とは、キリストの福音に「ふさわしい礼拝」ということです。神が先に愛し、御子キリストを与えて下さったので、今度は、その神を第1の価値として、私たちの一切を捧げるのです。  私たちの時代は、価値を失い、生きる意味も曖昧になっています。こうした中、私たちが霊的礼拝をきっちりと捧げることは私たち自身の生活の軸となります。同時に、世の人々も、私たちの礼拝式を通して、神の愛とキリストの贖いの尊さを知るようになるのです。