2015/11/1 ヨハネ福音書16:13~24 イエスとの再会と喜び



・「しばらくすると…見なく」
 主イエスは弟子たちに対して「しばらくすると…わたしを見なくなります」と語ります。肉的な人間は肉眼で見ることで世界観を造ります。それは肉的だった弟子たちも同様で、目に見える姿と奇跡だけで心の中にイエス像を形成していました。
 しかしながら目に見える世界はイエス像であれ「しばらくすれば…見なくなる」のです。

・「…しばらくすると見る」
 「しかし、しばらくするとわたしを見ます」と続けて語ります。「しばらく」とは、まずは十字架と葬りの期間を意味しますが、それだけではなく弟子たちが感覚的にイエスを見失った苦しみの期間全体を意味します。しかしイエスを見失う苦難の時は「しばらく」にすぎません。かならずその後に「見る」ことになります。
 後の「見る」とは「霊的に見る」という意味で用いられています。つまり、御霊を通して、復活後のイエス、昇天後のイエスを見るということです。御霊はイエスについてだけではなく、イエスご自身を現すからです。

・悲しみが喜びに
 肉的な世界観はやがて破綻し、悲しみと絶望感をもたらします。ただ御霊を通して「霊的にイエスを見る」ことにより、弟子たちは飛躍的に成長を遂げるのです。その際に「しばらくすると」来る悲しみと痛みが、次に「しばらくすると]来る喜びのために準備期間となるのです。