2013/9/22 Ⅱコリント4:7~11 土の器と宝

・土の器
  人間が「土の器」であるとは、聖書が示す姿です。 低く、卑しい存在、弱く、欠けのある存在、脆く壊れる存在ということです。私たちは年をとるごとに、弱さを覚え自分が土の器であることを再認識します。

 ・宝
   「宝を、土の器の中に」とあります。その「宝」とは、永遠のいのち、御霊 、神の愛、神の子の権利などです。私たちキリスト者は、外見は世の人々と同じでも、その内には、神の宝が豊富に入れられているのです。

 ・宝が現れる時
  私たちの内にある「宝」が外に現れる契機は、「四方八方から苦しめられる」時、「途方にくれる」時、「倒された」時です。そのような時に、私たち自身はパニックになり、弱ります。しかし神の救いが、鮮やかに現されるのです。ちょうど、土の器に欠けやヒビができ、そこから中の宝が輝くようにです。

 ・老年への勧めと励まし
  そこで、ある牧師は老年について、次のように書いています。「たとえ老年になって、孤独や悲しみがあっても、主は共にいてくださいます。…生けるキリストの御手の上で、…主の平安に支えられて、ニコニコ笑って、感謝にあふれて、日々を生きて下さい。」