2011/12/04 ローマ11:25~36 この神に栄光あれ

・神の奥義
 パウロは信仰者たちが自分勝手な考えで高ぶらないように「奥義」を示します。それは異邦人の救いが完成するときに、今は不従順なイスラエル人も救われると言うことでした。神は人を不従順に放置して、その後に憐れみを注がれる神です。人間が自分がすぐれていると高ぶったり、自分の力で救われたという傲慢な思いを持たないためです。
 「神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められた」のです。

・すべてのことは神から
 いつの場合でも、「神の知恵と知識の富」は人間には計り知れないのです。また人間は神の働きに自分から参与するとか、自分が神の働きを助けたなどという高ぶりは許されません。神のみが一切を成し遂げられる方なのです。
 確かに「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る」のです。神のみが救済の歴史の創造者であり担い手です。神のみがほめたたえられなければなりません。

・この神に栄光あれ
 神は私たち信仰者に、神の主権を日々知らせます。また御言葉をとおして奥義として前もって示し下さいます。それは私たちがあえて、神に栄光を帰すためです。目先の現実は、神の憐れみが見えない、神は厳しい方、不可解な方と思うときがあっても、私たちは信仰によって、真実を覚え、希望を持って、ほめたたえるのです。どこまでもへりくだらされ、純粋な賛美者となるように招かれています。
「どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」

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