2011/1/30 ローマ4:9~16 世界の相続人

・肉の印ではなく
 割礼は元々、神の民としての2次的印に過ぎませんでした。アブラハムは信仰によって義とされて神の民となり祝福を受けたのです。その象徴として割礼という肉の印を受けたのです。
 創世記を見ても、先にアブラハムは「信仰が義とみなされた」とあり、その後に「証印として」割礼を受けています。義とされることの本質は信仰によるのです。

 ・信仰の足跡に従う者たち
 「アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って」とあります。つまりアブラハムが何の肉の印を持たず、ただ信仰によって歩みましたが、それと同じように肉の印なしで、ただ信仰によって歩む者たちが神の民であるということです。
 私たち人間は肉の印に捕らわれがちですが、ユダヤ人の誤りから学び、私たち自身が外見の印でもって神の民と思う誘惑から免れ、ただ信仰によってアブラハムの子孫、神の民として祝福を受け継ぐものであることを覚える必要があります。
 同時にアブラハムの子孫は一民族に限られることなく、すべての民族、時代から集められることになります。

・世界の相続人
 アブラハムの祝福とは、第1に神の子とされることです。私たちが祈るときに神の子の霊をいただいているので、「アバ。父よ。」と祈ります。第2には永遠に神の愛の元におかれます。第3に「世界の相続人」とされるのです。

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