09/09/06 小犬でも マルコ7:24~30


・ギリシャ人の女
 イエスが異邦人の地であるツロに行かれたとき、ギリシャ人の女が来て、娘から悪霊を追い出すように願い続けました。悪霊を追い出すことは人間の力では不可能でフェニキヤ文明もにもギリシャ文明も無力でした。そこで女はイエスの噂を聞き、キリストと信じてやってきていたのです。

・イエスの拒絶・・・小犬には
 ところがイエスは女に対して沈黙しているように見えました。さらに「・・・子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と拒絶します。「子供たち」とはユダヤ人のことで、小犬とはギリシャ人をはじめとした異邦人のことです。聖書では「犬」を汚れた者、俗悪な者を意味します。そこで「小犬」は、さらに存在の小さいものと受け取ることができます。
・女の信仰・・・小犬でも
 しかし女は「小犬」という言葉に、イエスの恵みを見つけます。「食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」
 自分を見るのではなく、イエスのあわれみの大きさに訴えて切に願っています。
神の大きさと恵みによって救いを受ける手段に訴えて願ったのです。それこそがイエスの救いを受ける唯一の手段です。

・「そうまで言う・・・」
 女の信仰にイエスまでが驚いています。「そうまで・・・」言い「そうまで」信じて、祈る祈り手を主は求めていたのです。
 私たちも祈りがすぐに答えられない、「無視され、拒絶されているのでは」という経験をしますが、それでやめてはなりません。祈り続ける中で、私たちが「そうまで言う」「そこまで信じて」祈る祈り手になることを、主イエスは願っておられるのです。

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