09/07/05 マルコ5:21~24,35~43 タリタ クミ


・ヤイロの求め
 会堂管理者のヤイロはイエスの元に来て「私の小さい娘が死にかけています」と救いを求めます。「私の」「小さい娘」ということばにヤイロの娘に対する並々ならぬ愛情を垣間見ることができます。事実、彼にとって娘はこの世の何にも増して自分が愛する対象であり、守るべき存在でした。その「死(終わり)」は彼の生き甲斐の終結でもありました。

・恐れないでただ信じて
 ヤイロの家に行く途中、娘の訃報が届きます。親がいかに愛情を注いで育てたとしても人間の愛情である限り限界があります。その現実に直面しようとしたときの人間の恐れと不安、絶望感は底知れません。しかし恐怖感の渦の中でヤイロは御言葉をいただきます。
「恐れないで、ただ信じていなさい。」
 御言葉をとおして主イエスはご自分が死に勝利する神であり、復活の生命であることを明らかにしています。主イエスを信じる者は、どのような時にも恐れないで信じ続けることが大切なのです。

・密室
 イエスは少女の部屋に両親と3人の弟子しか入ることを許しませんでした。その密室で、彼はご自分の恵と愛と力と権威のすべてを明らかにします。
 このことは私たちの場合も、主イエスの力を深く知るためには、不信仰が入らない密室が大切であることを示しています。私たちも自らの子供たちを愛し子供たちのために祈っていますが、密室でその恵みの現実を知るのです。

・タリタ クミ
 「タリタ クミ」とはアラム(ヘブル)語で「少女よ 起きなさい」との意味です。福音書著者は生の言葉を示して、愛の深さ、大きさ、強さを表現します。イエスは信じ祈る親たちにまさるとも劣らない愛をもって、子供たちを愛し、生命を注いでくださっているのです。そして御言葉の通りに少女の肉体も生き返ります。

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