09/07/19 霊的な礼拝 ローマ12:1~2


・「そういうわけですから」
 「そういうわけですから」とはこれまでに示されてきたキリストの救いを受けています。神がイニシャティブをとり罪深く無力な私たちのためになしてくださったあわれみの業です。それはただ信じるだけで与えられる救いでした。
 神が主導する救いというパターンは礼拝式の中にも反映されています。招詞、交読、朗読、説教がそうです。

・霊的な礼拝
 「霊的な礼拝」というのは「理にかなった礼拝」という意味です。神が主導する救いに対して、私たちが当然のこととして応答すべき礼拝は何かということです。
 礼拝とは「神を価値ある方として仕えること」です。キリストの救いに相応しく礼拝するとは、身も心も一切を神にささげることです。

・心の一新によって変える
 礼拝の基本は「心の一新」から始まります。私たちは信じていても全体的に古い体質を持っています。神は内側から外側に向かって古い人を新しい人に変えていきます。信仰心は次に自ら魂/精神を変える方向に向かわせます。
 「変える」とは幼虫から蝶々に変わるのと同じことです。内から働くキリストの生命に従って私たちは自分で古い人を脱皮して新しい人にされるのです。

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