2022/2/1 ルカ福音書17:5~10 信仰の業と謙遜

 ・信仰の業
 使徒たちが「信仰を増してください」と願ったときに、主イエスは「からし種ほどの信仰があったなら…桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになる」と語り、小さくとも純粋な信仰の大切さを説きました。そのような信仰を神は、喜ばれるからです。

・しもべの謙遜さ
 また主イエスは弟子たちの謙遜さの必要についても語られます。つまり、「しもべが野らから帰って来たとき」でも、しもべは主人の食事のために仕えるのが当然で、いつも謙遜に仕えることが要求されるということです。しもべはあくまでもしもべであって、全権は主人にのみあるということです。

・神の僕たちの謙遜
「あなたがたもそのとおりです」と、主イエスは神のしもべたちも同じように謙遜が必要であることを示します。実際に、神は創造者にして贖い主であり、私たちは、被造物であり贖われた者たちだからです。そして、私たちは神のしもべとして仕えることが出来ること自体が幸いなことだからです。もし、自分の功績や権利を主張することになれば、それは神の恵みからの逸脱となるのです。
 「私たちは役に立たないしも…なすべきことをしただけです」とは、いつの場合も、私たちにとって幸いな告白であり、信仰生活の基本姿勢です。

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