2022/1/16 ルカ福音書15:25~32 もうひとりの放蕩息子

 ・兄息子
 たとえの後半は放蕩息子の兄に焦点が当てられています。彼は弟とは異なり、父の家に留まり、父の戒めに従い、かつ父に仕えて仕事を忠実にこなしていました。弟が帰ってきたときも、彼は畑で農作業をしていました。しかしこの日は、帰ってきて家に近づくと弟の帰還を喜ぶ音楽と踊りの音が聞こえたとあります。

・もうひとりの放蕩息子
 彼は事の次第を聞くと「おこって、家にはいろうともしなかった」とあります。彼は父のために戒めを守り真面目に働いているのに何の報いもない。それに対して放蕩息子の弟が帰ってきたときに、宴会をして大喜びをするのは、不公平であるというのです。
・父の愛、神の愛
 父は兄に対して父の裁断に何の不公平がないことを説明します。また表面的な義ではなく、さらに重要な親の愛の観点から、父親が弟息子の帰還を「楽しんで喜ぶのは当然」と語っています。また「おまえの弟」と表現して、兄息子もまた、父とともに弟の帰還を喜ぶべきであることを諭します。
 このたとえは、単にパリサイ人らの態度を非難して語られているだけではありません。さらには、私たちキリスト者同志の交わりのあり方を示しています。私たちも自分の義によって兄弟に不満を感じたり、怒ったりするものです。しかし人間的義よりも神の愛が優先されるべきで、私たちもそれに習うことが、要請されているのです。

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