2021/8/29ルカ福音書13:1~5 悔い改めなければ

・「ガリラヤ人たち」の非業の死
 主イエスは「ガリラヤ人たち」の非業の死について聞いた時、人々の受け止め方について非難しています。人々は彼らの隠れた罪について噂し、それと比較して自分たちは、まだましで善人というような考えでいました。つまり、人々はそのゴシップをネタにして、自己義認と自己正当化していたのです。そのことはシロアムの塔の出来事の場合も、全く同様でした。

・悔い改めないなら
 まず「そうではない」と彼らの自己義認の考え方を否定し、かれらもまた同じように罪人であることを明確に示します。他の箇所にも「義人はいない。ひとりもいない」ローマ3:10とあるとおりです。さらに「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」と、そのままの状態では滅ぶことを予告しております。この「滅び」とは単に肉体の死ではなく、永遠の滅びです。

・イエスと悔い改め
 そこで人間にとって「悔い改め」が極めて大切なことであることとしております。「悔い改め」とは、考えと思い、また行いの転換を意味するだけのものではありません。何よりも人間の中心の心の転換であり、全人の罪からの転換です。そして向かう先は、ただイエス・キリストご自身です。悔い改めにはいつの場合でも、彼に対する献身が伴います。
 

0 件のコメント: