2021/2/14 ルカ福音書9:37~45 「今の世」と十字架

 ・悪霊に憑かれた子
 主イエスの一行が山から降りてきたときに、ひとり息子の癒やしのために「群衆の中からひとりの人」が叫びました。その息子は悪霊につかれると「突然叫び出す…ひきつけさせてあわを吹かせ…なかなか離れようとし」ない状態でした。それは罪の世の悲惨な現実でした。

・「不信仰な、曲がった今の世」
「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ…。」主イエスは弟子たちの不信仰、群衆と父親の不信仰、さらに「今の世」を叱責しておられます。神がいくら働きかけても、霊の目が閉ざされて不信仰と罪のままなのが「今の世」です。主イエスの叱責の背後に、神の忍耐を垣間見ることができます。主イエスは叱責をしても、世の悲惨を放置することもなく、その悪霊につかれた息子を癒やされます。

・「今の世」と十字架
 最後に主イエスは弟子たちに密かに「人の子は、いまに人々の手に渡されます」と弟子たちに告げます。それは十字架の予告ですが、十字架は「今の世」の罪の一切を忍耐しつつ担った帰結でした。十字架によってでなければ、誰も自分の罪にも、神の忍耐にも、気が付かないし、霊的麻痺から癒やされることもないのです。
 「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされた」Ⅰペテロ2: 24とは真実飲み言葉です。

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