2013/10/13 ヨハネ福音書4:16~26 真の礼拝者

・この山でもエルサレムでもなく
  サマリヤの女には心の痛みと重荷がありましたが、それは彼女の民族の礼拝では解決できませんでした。そこで主イエスは新しい礼拝の時代の到来を告げます。その時には、「この山でもなく、エルサレムでもなく」、地上のどの場所でもないところで礼拝がなされ、しかも救いが完全に成就するのです。

 ・真の礼拝者
  その時、礼拝の形態が変わり「真の礼拝者」が起こされます。神が霊であるように、彼らも「霊とまことによって」礼拝します。それは内面の真実さということです。
 主イエスは「今がその時」と語っていますが、主イエスと出会うその時が、すなわち「真の礼拝」の時となるということです。

 ・私です(エゴー エミー)
「わたしです(エゴーエミー)」とは、単に自分を名乗り出ているだけではなく、ご自分こそ絶対的存在で、神の子であることを宣言しているのです。出エジプト3章の「燃える柴」の箇所で現れた神の名と一緒です。
  彼はサマリヤの女の前で、神としてのご自分を現しているのですが、同時に、現代の私たちの前でもみ言葉を通して「わたしです」と語りかけ、私たちとの交わり、また礼拝を求めておられます。