2012/10/7 イザヤ11:1~9 エッサイの根株から


・エッサイの根株から
 ちょうど、花や果樹などの品種を作るように、神は人間を選びに選んで、ご自分の御心の器を到来させます。「エッサイの根株」とは、そのような人物であり、アブラハム、ダビデの子孫として到来します。しかも、ダビデ王朝が切り倒された後に、到来する人物キリストです。
 そして、木に実がなるように、「根株の新芽」には、「主の霊」が留まります。そのようにして神の器とされるのです。


・キリストは完全な霊を受ける
 キリストに留まる霊はまさに「主の霊」であってこの世の諸々の霊とは区別される聖なる霊です。また主の霊は主なる神の心と精神そのものですから、完全な「知恵と悟りの霊」です。さらに主の霊は天地創造をなし、歴史を支配する霊ですから、一切の「はかりごとと能力の霊」です。また主なる神ご自身の霊ですから愛する者にご自分を知らせ、また神と交わるに際してのふさわしい姿勢を教えます。つまり「主を知る知識と主を恐れる霊」です。以上7項目が上げられていますが、完全なる霊であるということです。
 新約聖書ではナザレのイエスに聖霊が鳩のように下り、彼こそキリストであることを証ししています。

・私たちにも主の霊が注がれる
 主なる神が、キリストを備えられたのは、彼を仲介にして、私たちにも霊を分け与えるためです。私たちは本来は罪人で悪い実しか持ちません。しかしキリストに結びつくことで、新しい人にされ、霊の実を結ぶことができるのです。ちょうど、接ぎ木された枝のようにです。