2012/6/10 イザヤ12:1~6 喜びの発信

・「その日」と福音宣教
  「天から神の怒りが啓示されている」とあります。人間は罪深いため、その生涯は神の怒りの下におかれています。
しかし「その日」とは、神の「怒りは去り」「慰め」が来る日のことで、主イエス・キリストの十字架の贖いによって実現します。同時に福音宣教が始まるときです。福音には十字架の贖いが凝縮されています。

 ・救いの泉から喜んで汲む
  「その日」とは今であり、私たちは「喜びながら救いの泉から」汲みます。つまり私たちが福音を聞いて、理解し、それを心に受け入れるなら、福音は私たちの心の中で救いの泉となります。
  私たちの毎日はまた、神の怒り、試練、戦い、苦しみの連続で、さながら旱(ひでり)のようです。しかし福音は渇いた心に救いの水を与えます。そしてその時々に応じて、慰めと力と励ましを与え、喜びをよみがえらせ、愛の神が私たちと共にいることを知らせます。

 ・喜びの発信
  私たちの福音宣教は私たちの信仰生活の体験を基点として始まります。それは「喜びの発信」です。  私たちは礼拝で、諸集会で、毎日の生活で救いと喜びを証するのです。それは自発的になすことであり、また命令されていることです。
  世の人々は、むなしい偶像崇拝をし、不道徳の中を歩み、なお、神の怒りの中におかれています。私たちは明瞭な喜びで、神の救いと臨在を証しするのです。