2011/7/31 ローマ8:12~17 「アバ、父」と呼ぶ霊

・御霊に導かれる人は神の子ども
 キリストを信じる者は、肉に対する責任を問われる必要はありません。「肉」とは肉欲というだけではなく、社会的な義理人情、家族の絆も含まれます。肉の世界は、つかの間の向く森を与えるようですが、その結末は絶望と死です。
 キリスト者はただ神に対してだけ心を向けるべきです。それが新しい御霊に導かれる者としての姿であり、「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」

・「アバ、父」と呼ぶ霊
 私たちは、御霊によって神を「アバ、父。」と呼びます。それは愛されている子として信頼と親しみを込めた祈りです。また地上でのイエス・キリストが神に向かって祈る姿勢であり、日々の生活の基盤でした。
 人間でも親に対する信頼関係の中で人格が育っていきます。神の子も御霊によって、「アバ、父」と祈る中で成長します。

・苦難の中での祈り
 地上の生涯において、キリストは様々な苦難に出会いましたが、同じようにキリスト者も同じ苦難があります。しかし苦難はキリスト者には重要な意味があります。苦難にあずかることで、天の相続がいよいよ明瞭にされるということです。
 私たちは苦難の中で、「アバ、父」と切に祈らざるを得ませんが、その時に、御霊は私たちの魂に、天の永遠の相続と栄光を証するのです.

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