2010/1/3 主を待ち望む イザヤ40:27~31


・現実とつぶやき
 「なぜ言うのか・・」とイザヤは人々のつぶやきを指摘しています。人々は目先の現実ばかり見て困難を覚え、つぶやいていたのです。
 私たちもただ目先の現実だけにとらわれていたら、いつの間にか、自分の心は呟きと不安と不信仰の巣と化してしまいます。

・永遠の神を見上げる
 「あなたは知らないのか・・・主は永遠の神」。信仰者が忘れてはならないことは、神の言葉を聞き、神に教えられ、神を見上げると言うことです。その時に肉眼で見て早合点した現実とは異なる世界が見えてきます。神は永遠の神であり、人間の思いと力を遙かにこえた方です。
 御自身が永遠であるだけではなく、神の民にその力と生命を与えようとしておられる方なのです。それは神が民にとって恵み(ヘセド)の神であると言うことです。「疲れた者には力を与え」るのです。

・主を待ち望む
 神の恵み(ヘセド)に対して、私たちはどのような誠実(ヘセド)を示したらいいのでしょうか。それはただ「主を待ち望む」という信仰姿勢のみです。主を信じ続けると言うことです。色々な困難がやってきますが、その中で信じ続けることで信仰は鍛えられていきます。

・鷲のように翼をかって
 イザヤは主を待ち望む者がどのような恵みと生命を受けるかについて見事なイメージを提供します。それは空飛ぶ鷲です。鷲の羽は傷ついたときなど自然と抜け落ちます。完全に回復するまでに数ヶ月かかりますが、その間、じっと待ち続けるのです。回復した羽は、以前よりもつやがあり、力ある羽となります。丁度その鷲のように、主を待ち望む者は恵みの気流を一杯に受け上昇するのです。

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