09/5/3 「大庭を慕う」 詩篇84



・大庭を慕う
 神は自然界に生命と自由の空間を与えているように、私たちの魂のためにもそれを備えておられます。「主の大庭」とはエルサム神殿にある庭のことですが、そこは礼拝の場で人々の魂が生命と自由を得る場でした。旧約の詩人はそこで神に礼拝することを切望し恋い慕っていました。
 この「大庭」は主イエスによって成就したキリスト教会の礼拝の場の予型です。私たちはキリストによって成就した「大庭」で霊とまことによって礼拝をささげることが許されています。

・礼拝者は生涯に恵みと力を受ける
 「何と幸いなことよ」と礼拝者について祝福を約束しています。神は真の礼拝者を求めておられます。神は彼らの礼拝をかぐわしい香りとして受け入れ、彼らの地上の生涯に幸いを与えます。「涙の谷」の経験も「泉のわくところ」となります。彼らを覆っているのは神の恵みと力で、彼らの歩みは神に支えられて力強いのです。

・礼拝は、千日にまさる一日
 さらに礼拝する時間は一時ですが、地上の楽しみの時間と質的な優位があります。地上の楽しみはやがて過ぎ去りますが、礼拝の時は永遠につながります。「あなたの大庭にいる一日は千日にまさります」とあるとおりです。
 旧約の民は樹木の生命力を羨望しましたが、新約の民はそれ以上の生命と自由の養いの場を与えています。私たちは礼拝の価値を心に覚え、旧約の信仰者以上の「慕う心」「霊とまこと」をもつ礼拝者となりましょう。

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