2012/5/6 ローマ15:7~21 異邦人の救い主

・異邦人の福音
  ユダヤ人は聖書の宗教はユダヤ人のものであるという考えがありました。他方、異邦人はユダヤ人に遠慮する形で福音を受け入れている傾向が見られます。
  そこで使徒パウロは、福音は旧約聖書以来、ユダヤ人と共に異邦人に向けられていることを示します。

 ・異邦人の教会
 さらに神は異邦人のためにパウロを福音による仕え人、また祭司としました。そこにレビ系の祭司という枠を超えた異邦人教会の姿を見ることができます。
  パウロ以降も、神は異邦人教会に働き人をおこし、福音による宣教と聖餐を施させます。また信仰者すべてが祭司とされて、教会全体が「異邦人の光」とされています。

 ・異邦人の供え物
  異邦人教会でも、神はささげ物を求められます。それは信仰者たち自身が福音を理解して受け入れ、自発的に自分をささげることです。それは神のご意志に対する従順ということです。それは彼らにとっても、幸いとなる姿です。

 ・来たれ、異邦人の救い主
   「来たれ、異邦人の救い主」とは、AD4世紀のアンブロシウスの詩ですが、そこには敬虔な信仰姿勢が告白されています。  「私たちは、異邦人はチリにすぎぎない存在です。しかし神は見捨てられず、心の戸の外に立ってたたいています。」
  そこで私たちは心から告白するのです。「どうぞ、私の心にお入りください。私はすべてを献げます」と。