2010/4/11 マルコ12:1~12キリストを礎石とする

・ぶどう園のたとえ
 主イエスは「ぶどう園のたとえ」を通して、「神の国」の祝福がユダヤ人から取り去られたこと。そして異邦人に与えられるようになったことを示します。
 神はユダヤ人たちに対して預言者たちを送り、さらにはひとり子キリストを送って誠実と恵みを示しました。ところがユダヤ人たちは殺して反逆心と邪悪さを顕わにしたのです。その結果、神の国は彼らから取り去られ異邦人に渡されたのです。

・見捨てた石が礎石に
「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。」
 主イエスは、別のたとえで捨てられたキリストが異邦人教会の「礎の石」となったことを示します。キリストはユダヤ人たちによって捨てられ殺されましたが、復活して新しい教会の礎石となったのです。神は初めから異邦人の救いを計画しており、それはユダヤ人の反逆により「奇跡的に」実現しました。
 今や、キリストは異邦人に、そして私たちの教会にも救いの礎として提供されています。すべて私たちに対する神の愛とみ力によっています。

・キリストを礎石とする
 私たちはキリストを礎石として教会生活、信仰生活を築き上げるべきです。そのためにはどのような時にも彼に信頼することが大切です。慌てて業をなすのではなく、静まって信じ続けることです。また「自分の思い」「人間的な欲」を中心とするのではなく、徹底して神の言葉と御心を求めることです。行いと思いにおいて聖さを保つことです。さらに礼拝を通して霊のいけにえをささげることです。(Ⅰペテロ2:4~6)

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