(召天者記念礼拝)
・雲のように囲む証人たち
「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り囲んで」とあります。私たちの召天者たちもまた、私たちを取り囲む証人たちです。彼らの生涯と信仰は教会の歴史にしっかりと刻まれており、いつの時代も私たちの信仰の戦いをコーチし応援してくれるのです。
私たちは召天された兄姉の面影と信仰を思いながら、明瞭に、その励ましを受けたいのです。
・競技を重荷と罪を捨てて走る
証人たちは「一切の重荷とまとわりつく罪を捨て」るように私たちをコーチします。重荷とは世に対する未練や欲、煩いです。それらは私たちの信仰競技に際して、私たちの負担となって信仰を弱らせるのです。罪を犯し続けていれば、それは私たちの足にまとわりつきちょっとしたことで躓き、信仰から離れさせてしまいます。
・忍耐をもって走る
証人たちは皆、「忍耐をもって走り続けて走り続け」て、肉体が贖われて天に凱旋しました。忍耐や我慢などナンセンスと思う時代ですが、信仰は運動競技と同じように忍耐が必要であることを覚える必要があります。試練の中で忍耐する者だけが、勝利者となり、天に凱旋できるのです。
・イエスの道から目を離さない
証人たちが一様に証する対象は、イエスとその生涯です。イエスはただ苦しまれたのではなく、「ご自分の前に置かれた喜び」から目を離さずに忍耐を全うして、凱旋しました。
私たちはイエスが踏み固めた道を進んでいくのです。その志を明瞭にする者のために、イエスは聖霊によって励まし、力を与えて、勝利者としてくださるのです。
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